「これまで泣きたい夜もあったでしょう?」
ある番組でゲストの某女優さんの人生を振り返る前フリ。タレントの久本雅美さんが言っていた。つらくて、悲しい。それでも乗り越えた苦労の時を、美しく描き始める表現で好きだ。そんな、「泣きたい夜」に私がするのは決まって皿洗いだった。

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中学生時代。私はよく馬鹿にされて、笑いものにされることが多かった。悔しい思いを、たくさんした。なかなかパッと気持ちを言葉にできない質だったから、黙ってその場を離れることしかできなかった。

我慢しているというより、何もできないからつらくて逃げている感覚に近い。帰り道、だんだんと怒り込み上げてくる。その場で止めた反動なのか、一度ドロドロと出てくると家に着いても止まらなかった。

今時の子どもには流行ってないみたいなのだが、私はしっかり反抗期があったタイプ。親に話を聞いて慰めてもらってスッキリ、なんてことはしたくない。夕飯を済ませてお風呂に母が入るのを確認したら、向かうはキッチンである。

スポンジを水で濡らして柔らかくする。洗剤をつけて泡の塊にしながら、お皿たちの洗う順番を考える。お皿の汚れをスポンジでこすってこすって、考える学校でのこと。どうしてあんな傷つくこと言われるのか。なんで周りも笑ったり、見ないフリなのか。勉強ができるあの人はナメられない。可愛いあの人は酷いこと言われない。

そんなことを考えると、ふと涙が出て、肩が震えた。自分は頭が悪いから馬鹿にされるんだ。自分はブサイクだから簡単におもちゃにされるんだ。悔しい。悲しい。でも何も言えなかった。

お皿の汚れを落とす水の音が、すすり泣くのをかき消してくれた。袖をまくるフリをして、涙を拭った。晩御飯のカレー皿も、作った圧力鍋も、洗う手間がかかる分には気にしない。ご飯の欠片をスポンジで削ぎ落として、私は涙を晴らしていた。

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布巾でお皿の水気を優しく拭き取る。洗う前よりキレイになった食器を見ると、なんだか良いことをした気がする。お皿を拭いたら最後はシンク。我が家流なのかわからないが、シンク用のスポンジに持ち替える。なんだかんだシンクはお皿よりも衝撃的な汚れを隠し持っていたりする。

「うわ!きたな!」そう思いつつも、その方が俄然やる気が出る。手が汚れようが、関係ない。全力で汚れを落とし切る。生ゴミの処理も一気にやる。ここでは勢いも大切だ。泡だらけのシンクにサーッと水を流したら、皿洗いの終わり。やり切れると、我ながら誇らしい。

皿洗いが終わったら、優しく優しく手を洗う。不思議と泡に包まれると人は少し穏やかになる。頑張ったね、わたし。言い返せなかったけど、何もできなかったけど、それでも良い。いいんだ。またやられても、大丈夫。

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今は二十五歳の春。皿洗い以外にも、私を慰める方法はたくさん知っている。でもいつだって皿洗いは私の味方だ。

今日、そんな味方に新しいスポンジを買った。春に似合う、優しいピンク。このスポンジと、春の荒波を乗り越えてやるのだ。