「いただきます」と手を合わせた彼はしばらく目を閉じ、拝んでいた。

私が用意したのはご飯、味噌汁、納豆の簡素な朝食。超が付くほど朝が苦手で、一人暮らしを始めたばかりの私の精一杯だった。大したものを用意できなくて申し訳ないと縮こまる私に、彼は「ありがたい」、「おいしい」を繰り返し平らげた。

ご飯はまとめて炊いたものを温め直しただけ、納豆は混ぜただけで、味噌汁を作っただけ。実家で家事をかなり主体的にやっていた私にとって、その労力を思うと決して「だけ」と言っていいものではない。しかし世間一般の価値観では、それらが軽んじられがちなのもわかっていた。でも、これでこんなに喜んでくれるなんてと感動した。

もうこの人以外とは付き合えないと思った。「ありがたい」はこちらの台詞だった。

◎          ◎ 

私は料理ができないわけではない。でも圧倒的に自信がなかった。主に味付けだ。料理をしたら味が心配で「おいしい?大丈夫?」と何回も聞いていた。我ながら、おいしい物もおいしくなくなるほどにしつこいとはわかっていたものの、やめられなかった。

私は母から調理器具の扱い方や野菜の切り方、味噌汁の作り方など基本的な技術を教わった。とはいえ家の味というものはなく、いわゆるお袋の味がなかった。そもそも母の作る料理は味が薄かった。それでよく父から「味が薄い」と叱られていた。

味が薄かったら調味料を足したらいいと思うかもしれない。でも料理を火から下ろしてからだと、味がなかなか付かないというのが父の持論で、よく怒っていた。味が濃ければ「俺を殺す気か!」と怒鳴っていた。子供が好むようなオムライスやスパゲッティなどは手抜きと称し、蔑んだ。

なんという暴君だろうか。その矛先が私の料理に向くことはなかったが、この環境で自信を持つ方が難しいだろう。

彼は私が何を作っても感謝し、喜び、褒めてくれる。彼自身、料理が得意ではないこともあるかもしれない。彼はカレーライスに乗せた目玉焼きの焼き加減すら褒める。カルボナーラを作って出せば「店?店なの?天才!」と褒め称える。

この調子で褒め続けられた私は「おいしい」と言われれば「私、天才だからね」と返すまでに自信をつけた。天才を自称すると途端にうさんくさいのだが、大目に見てほしい。

◎          ◎ 

彼にとって手抜き料理は存在しない。

正直、彼の反応を見て、最初は凝った料理を作っても意味がない、作り甲斐がないと残念に思っていた。しかし日々のご飯のレパートリーには限界がある。彼とのお付き合いが長くなれば長くなるほど、何を作っても差し支えないことの楽さ、ありがたさが身に沁みた。残念とか思っていた私はなんと愚かなのだろう。

料理に自信がつき、手抜きやらなにやらを気にせず自由になった私は、料理へのモチベーションが上がった。というより、彼の反応が見たい、おいしいものを食べさせたいという気持ちでいっぱいだ。彼を喜ばせたい一心で作った料理には新たな発見があった。

その一つがおでんだ。おでんは大根も玉子も硬くて味が薄くて、ご飯のおかずとも言いがたく、好きではない。でも、冬はおでんと思い、彼のために作った。なんと、自分で作ったおでんはおいしかった。おでんがおいしいことを初めて知った。
そんな私が敵わないのは彼が作る味噌汁である。私が朝、起き上がれず、作り置きも何もない時、彼が味噌汁を作る。その味噌汁がなんとも優しい味なのだ。優しい味ってこういうことなんだと知った。作ってもらう料理もまた格別だ。

彼と出会わなければ料理を作る楽しさも、自分の料理のおいしさも知らなかった。彼のための料理は自分のためでもあった。なにより食卓を囲むのが楽しくなった。楽しすぎて若干太ってしまった。次はダイエットごはんを習得しよう。自分のためにも、彼のためにも。