この日は運悪く電車で座れず、人に押し潰されながら通勤していた。電車内で寝ることでなんとか出勤していたので、座れなかったことは致命的だった。体も気分も鉛のように重かった。電車を降りても体が言うことを聞かず、歩いたり座ったりを繰り返していた。
◎ ◎
こういう時のために、精神科の主治医から薬が出ていたということを思い出した。過去に休職の経験があるので、今でも私は定期的に精神科に通っていた。しかし、私は依存性を心配して、服薬は頑なに拒んでいた。初めて飲む頓服薬、気分が落ち着くと思った。しかし、落ち着き過ぎたのだろう、猛烈な眠気に襲われ、座っていられなくなった。
なんとか駅員さんに「体調が悪いので横になれるところはありませんか?」と聞きに行った。私は多目的トイレを案内され、中にあるベッドで横になった。その多目的トイレは30分滞在するとブザーが鳴るようになっていた。ブザーが鳴ったらまた来ますと駅員さんがいなくなり、私は目を閉じた。
途中、外から「多目的トイレ空いてないわねぇ」と年配のご婦人と思しき声が聞こえた。寝ながら大変申し訳なく思ったことを覚えている。30分はマッハで過ぎ、ブザーが鳴った。やってきた駅員さんにもう少し休みたいと伝えたところ、「ご家族に連絡して迎えに来てもらうか、救急車を呼ぶか、どちらか…」と言われた。一呼吸おいて、私は救急車を選んだ。私はかかりつけの精神病院に運ばれ、入院した。
◎ ◎
あの時、家族は皆、仕事等で出払っており、迎えを頼めなかった…というわけではなかった。救急車を選ぶまでの一瞬で考えたことはたくさんある。連絡がつくかどうか、街中に車で迎えに来てもらう交通事故のリスクなど。でも、それはなぜ救急車を選んだのか問われた時の体をなす対外的な言い訳だった。本心はとてもじゃないけど家族に弱みを見せられないという気持ちだった。とっさに家族に電話するくらいなら救急車の方がマシだと思ったのだ。
私が人に弱みを見せられないプライドの高い人間なのかもしれないが、弱さを見せれば寝首をかかれるのではないかというような不安、不信感があった。家族相手にと思われるかもしれないが、それは自分がいちばん思っている。私は救急車を選んだのではなく、家族を選べなかっただけだった。
私にとって、この世でいちばん信用できないのは家族だった。しかし薬を飲んで猛烈に眠くなっただけなのに救急車を使うのは申し訳なかった。道中、泣きながら「こんなことですみません」とただひたすら謝っていた記憶がある。救急隊員さんは「そんなことないですよ〜」とにこやかで、優しかった。ちなみに救急車を選んでも、救急車内で家族に電話しなければならなかった。ありがたいことに私は電話をかけただけで、救急隊員さんが状況説明等をしてくれた。
◎ ◎
入院した私は最終的に家族の元に戻らない形で退院した。家族と物理的に距離を取ることにしたのだ。いざという時に頼れない家族、それが答えだったのだろう。家族が信用できないということは家で安心感がないということだ。
つまり私は家で休めていなかった。じゃあ私はどこで休んでいたのかというと、どこでも休めていなかった。四六時中臨戦態勢だったのだ。
足場が沼地のようにぐちゃぐちゃであれば、踏ん張れない。沼地から抜け出そうとしてもぐちゃぐちゃすぎて飛び立てない。足場である家は沼地だった。家で休めない私は学校や仕事を頑張れなかった。家から出たかったが、それを伝える時の家族とのすったんもんだを考えるととてもじゃないが言い出せなかった。
救急車で不意に沼地の外に出られた。なにより、入院期間中に自分がいた場所が沼地であることに気付き、沼地に戻らないという選択をした自分を褒めたい。相変わらず働けてはいないが、心穏やかな時間が増えた。今は足場を固めて、踏ん張る筋肉を鍛えている。