「努力は必ず報われる」という言葉を発する人々に言いたい。それは圧倒的に言葉が足りていないだろう、と。その言葉のせいで自分を責め、苦しむ人は多い。
 正確に言えば、「努力は望んだ形でかどうかはわからないが、必ず報われる」だ。言い換えれば、「ある物事A に対する努力A’ が、必ずAに対して報われる訳ではない」のだ。

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大学受験でどれだけ努力したって、受からないことなんてザラにある。 

しかし、当人にとっては、神話の崩壊の決定的瞬間だ。そこに行くことに価値があるという、何年も信じていた、心を捧げた神話。

国公立大学を志望し浪人した私は、二度目の受験を経ても第一志望に受からなかった。通うことになったのは、センター利用で押さえた資料も読んだことのない私大。しかも通学に三時間半かかるという、とにかく全てを恨みたくなるような結果で私の受験は終わった。

一年目は辛かったことしか記憶していない。 
こんなはずでは、と周りを見下しているのがきっと顔にも態度にも出ていた。加えて、昔から大多数が興味を持つことにあまり関心を寄せられなかった私は、明らかに孤立した存在であった。もし周りからそう見えていなかったとしても、「独りだ」と心の底から思っていた。

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そんな中、話も合わない私を、心優しい同じ学部の子たちがお弁当を一緒に食べるグループに入れてくれていた。素直に嬉しかったし、なんとか仲良くならねば、と思った。 

が、心に嘘はつけない。SNSで映えるお店、最近ハマっている恋愛ドラマ、そんな話をされてもどう反応していいのか、どうしたらうまく話についていけるのか、幼い私には分からなかった。人といるのに、ひどく寂しい気持ちが昼休みのたびに胸いっぱいに広がる。

五月ごろ、その子たちの間で、私を除いたライングループがあるのを知ることになる。特段驚きはしなかった。明らかに一人で食べるのはかわいそうという同情で入れてもらっていたのは解っていたから。「虚しい」という言葉の言質が、強く心臓を握り潰した。

それでも一人になりきる勇気を持ち合わせていなかった当時の私は、気づかないフリをし続ける。みんなが好きなものに馴染めない。そんな自分はどうしたら、存在してもいい、と、価値があると認めてもらえるんだろう。春の陽気の下で、そのグループの中でお弁当を食べる時間は拷問に等しかった。

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この季節なるとあの辛かった時期を思い出す。よくぞ乗り越えてくれた、と。
同じ学部の子と溶け合えず、サークルは通学時間の問題があって入れず、どうして私がこんなところにという怒りと現実も折り合いがつかず。自分がよく分からなくなっていた、あんな時間を多感な時期に経験した。

周りは美しさを競うかのように輝き、色めいていたのに、私は劣等感と否定に打ちひしがれた、ぐにゃぐにゃした漆黒の醜いなにかだった。でもそのなにかが、全ての苦しさが、今の私を強く支えている。私は、同じような境遇にある人々に声を大にしてこう言いたい。

その大きな挫折は、唐突に身体に投げつけられた無機質なターボのようなものだ。当然、重みと衝撃に耐えきれず、血を流し、五臓六腑は潰れ、歩くこともままならないだろう。 時間がかかってもいい、むしろ時間がかかって当然だ。そのターボを、自分の身体に取り込んでしまえばいい。エンジンは自分の情熱だ。反骨の精神だ。

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特に、私のように幼い頃から「いい子」が止められず、ただ国立の名が欲しかっただけ、他人の基準で生きて自分の好きなことも分からなかった人には運命的な機会だ。なにくそ、こうなったら好きなことをやってやると思い、覚悟を決めて「優等生」をやめよう。好きなことをしよう。そのターボを使って、自分の好き、を見つけに色んな所へ行こう。もう、これ以上の痛みはないのだから。少し勇気をだせば、新しい道が必ず開ける。 

私も一年目はただひたすらに傷つき、先に書いたように辛い記憶しかない。でも、あまりに辛かったので、二回生からは思い切って他人に依存することをやめた。そして当時の私なりに興味のある事柄を片っ端からやっていった。不思議なもので、ふと気づいた時には隣には心から信頼できる友がいた。

その後も、いわゆるキラキラした大学生、では全くなかったけれど、戦い続けた結果に辿り着くその境地を見た。卒業するころには、あれだけ「なくなってしまえ」と思っていた大学のキャンパスの風景に、強くしてくれてありがとう、と思えた。

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あの頃があるから、社会人になっても、今がベストだと自信を持って言える人生を送れている。あの挫折より前は「いい子」であることに固執しすぎて、やりたいことも勝手に諦めるクセがついていた。しかし、他人基準で生きると、その神話の崩壊の瞬間に自分の価値も粉々に崩壊してしまう。あの痛みをこの全身が知っている。

だから、やりたいと思ったことはどう思われようと、片っ端からやる。年齢、経験関係なくどこでも飛び込む度胸は、この挫折が私にくれたのだ。

この時期、この世間が色めく春の時期に、心にぽっかりと穴の空いてしまった同じ境遇の方には伝えたい。努力は必ず、何らかの形で報われる。それは確実にあなたに必要なことを届けてくれる。未来は絶対に明るい。ここで腐らなければ、未来のあなたは確実に、健やかに笑っている。

時期は少し遅れましたが、大学受験、本当にお疲れ様でした。結果はどうであれ、最後まで走り切った皆様に、心からの賛辞と、未来へのエールを送ります。