お母さんへ。

こうやって文章にするなら、本当は前みたいに手紙を渡したかった。

覚えてる? 私が23歳になる少し前、一人暮らしを始めようとしたとき。あの頃の私はお母さんとどうコミュニケーションを取ったらいいのかわからなくなってて、手紙にもずいぶん一方的な内容を書いちゃったような気がする。きっと、傷つける言葉もたくさん使った。それで、そのまま逃げるように家を出て行っちゃった。

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あれからあっという間に時間が経って、お母さんは病気で死んじゃった。それももう一昨年の話だよ。1年4ヶ月前。いろんなことがものすごいスピードで過去に押し流されていくから、最近はちょっと怖い。

私も来年で30になっちゃうんだよ。結構、焦ってる。30を迎えるには何だか未熟な所だらけのような気がしてて。「もっとちゃんとしなきゃ」っていう漠然とした焦燥感はあるんだけど、漠然としすぎているせいで本当の問題とは全然向き合えていないのかもしれない。

前置きが長くなっちゃったけれど、まずは、謝りたいことから。家を出て以来、ほぼ一切連絡を取らなくて、そして危篤の日まで会いにも行かなくてごめんなさい。

お母さん自身が、私と連絡なんて取りたくなくて会いたくもなかったのだとしたら、それは仕方のないことだと思う。きっと、かなり扱いにくい子どもだったよね。自分の気持ちを進んで話そうとしないから、何を考えているのかよくわからなかったよね。

ただ私自身も、大人に近付くにつれてお母さんのことをどんどん拒絶するようになっていった自分の心に、ちょっと戸惑ってた。あんまりやりたくないことを強制させられたこと、褒められた記憶が少ないこと、自分の言ったこと・思ったこと・作ったものが一蹴され、上書きされたこと。そんな子ども時代の記憶のひとつひとつはきっとどれも些細なことだし、「ちょっと小言が多いお母さん」「たまにガミガミ言うお母さん」だと思えば、案外どこにでもいる母親だったのかもしれない。

実際、昔はそこまで気に留めなかった。心の中で小さなため息をつくくらいで、言われた通りにやっておけば何も問題はないんだと認識していたから。お母さんに対して従順でいることが、毎日を平和に過ごす術だと無意識のうちに思っていたから。

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それがいつからか、心の中にたくさんの疑問符があふれるようになった。いま冷静に考えれば大した内容じゃなかったはずなのに、お母さんの言葉に過敏に反応して、嫌悪感や怒りがたちまち噴き出した。

そして何故か芋づるのように、幼い頃にお母さんから言われた言葉もばらばらと蘇り、混乱していく一方だった。「何であんなこと言われたんだろう」「何であんな言い方をされなきゃいけなかったんだろう」と心はどんどん過去に囚われて、上手く前に進めなくなった。そうして、私はお母さんのことを避けるようになった。

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久しぶりにメールで連絡を入れたのは、私の結婚が決まったときだったね。私のアドレスが変わっていたから、最初はかなり怪しんだらしいね。妹からそう聞いたよ。本当に送り主は私なのかって。あのときは、突然連絡してびっくりさせてごめんね。

あの時点でお母さんの体調は良くなかったし、コロナ禍ということもあってメールだけにとどめたけれど、本当は結婚した彼と一度でもいいから会わせてあげたかった。紹介したかった。

いきなり連絡が来たこともそうだけれど、それ以上に内容が結婚話っていうのも、きっと驚かせたよね。正直、私も自分が結婚できるなんて思ってなかったよ。扱いが難しいはずの私のことを「え、単純だよ?超わかりやすいよ。顔に感情書いてあるよ」ってあっさり言っちゃう人なんだよね。

そんな人と出会えたのは、運が良かったとしか言えない。一生分の運をもしかしたら彼で使い果たしちゃったかもしれないけれど、それならそれで良いかなと思ってる。そう悔いなく思えるくらい、最高のパートナーだよ。

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お母さんのことは、怖いと思ったこともあったし、嫌いだと思ったこともあったし、憎いと思ったこともあった。でも、多分私にはお母さんに似ている所がきっとたくさんあるんだと思う。気難しかったり敏感すぎたりする所は、お母さん譲りのような気がする。お母さんの嫌な所は、そのまま自分の嫌な所とイコールなんだろうな、って。

あらゆる情報が手軽に得られるようになったからこそ、お母さんとの関係について悩まされたとき、「毒親」だとか「AC(アダルトチルドレン)」だとか「インナーチャイルド」だとか、たくさんの言葉が流れ込んできた。

「これだ」と腑に落ちたこともあったし、「都合のいい後付けや拡大解釈にあたるんじゃないか」と首を捻ったこともあった。何度も何度も調べて、その度にわかったりわからなくなったりした。

でも、今はもうやめた。わかったりわからなくなったりすることを、やめた。……なんて言うと、まるで途中で放り出したみたいだけれど、そうじゃなくてね。過ぎたことに対してあれこれ考えあぐねる時間が、正直もったいないなと思った。

考えるべきなのは、今この瞬間と、どこまで続いていくかはわからない未来のこと。言葉にすると酷だけれど、お母さんはもうこの世界のどこにもいない。今にも未来にも、いない。

何かの問題の根源を探そうとしたとき、もしかしたらそれは過去につながっていて、お母さんから受けた影響も関わっていることがあるのかもしれない。でもそれ以前に、お母さんは私を育てた人。育てられたから、今日がある。当たり前に思えることこそ、きっと一番忘れてはいけないこと。

18歳のとき、知らない場所で死のうとした私をお母さんが迎えに来てくれた日のことは、よく覚えてる。車の中が暗かったからちゃんとは見えなかったけれど、お母さん、笑いながら泣いてたよね。

今は、大丈夫。生きることはまだ怖いけれど、怖いままでも生きていける最低限の度胸はついたみたい。本当に、心配やら迷惑やら色々かけ続けてごめんなさい。

何年後かわからないけれど、あの世で会えたときには、文章じゃなくて直接話ができるといいな。何にも囚われることなく、穏やかに、笑って。