私は先週、結婚式を挙げ終わった。
ホカホカの状態でこのエッセイを書いている。
実は、私は先日「わたしと『母親』」のテーマで既にエッセイを1本投稿している。タイトルは「モンスターだった母はもういない。足音に怯えていた小さな私もいない
小学生の頃、母に叱責されながら週6の習い事を強いられて苦しかった、という内容だ。
しかし、あの時とは母に対する心情がまったく変わってしまったため、もう一度筆を走らせている。

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結婚式の当日は晴天で太陽の光が眩しく、あたたかい風が桜の花びらをそよそよと揺らしていた。人生で1番可愛い装いをさせてもらって、美味しいお料理を食べて、皆から祝福の拍手を受けて、嬉しさいっぱいの1日だった。
そのせいなのか。先日はあんなに恨み辛みを綴ったエッセイを書いていたのに、結婚式の時には母への憎しみが薄れていた。
春の風に乗って、黒いもやがサラサラと身体の外へ流れていった感覚がした。

そして、披露宴の終わりが近づき、最後に母に花束を手渡した時、母は小さな声で「生まれてきてくれてありがとう」と言った。
やさしいやさしい声だった。
幼い頃に母のお膝に乗せてもらって、絵本を読み聞かせしてもらっている時のような。
私は堪えきれず、両手で顔を覆って涙を流した。母も泣いていた。

親子ってなんだろう。
辛い記憶でひしめき合っていたはずの脳内は、私を支えてくれた明るく頼もしい母の記憶で埋め尽くされていた。「福々ちゃん、好きなケーキ選び」「あんた、ようやったなあ」「優しくて自慢の娘です」。
いつもと同じように幼少期に怒鳴られた記憶を頭の中で再生させてみても、煮え立つような黒い感情は湧いてこなかった。

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正直、悔しい。母にされた仕打ちに泣いた日々をチャラにするのは。
何年も悩み苦しみ続けてきたのに、たった1日だけで消え去ってしまうのか。
幼い私の苦しみはその程度だったのか。私が拘りすぎているだけなのか。
でも、「生まれてきてくれてありがとう」に涙した気持ちも間違いなく本物なのだ。本当に嬉しかった。
「こちらこそ、ありがとう」という気持ちで心がいっぱいになった。
それでも数日もすれば、また母への憎悪が戻ってくるんだろうか。それとも、結婚式マジックでずっと穏やかな気持ちのまま生きていくのだろうか。

ちなみに、結婚式から数日後に母とランチをした時「実はお母さん、福々ちゃんが小学生の頃は次男の大学受験と反抗期が重なって精神的に参っていて、真っ暗なトンネルにいるみたいだったんだよね」と打ち明けられた。知らなかった。
スーパーポジティブ人間の母が「真っ暗なトンネル」
なんて言葉を口にするなんて初めてで、私は驚いた。
結婚式を終えた高揚感で口を滑らせたのだろうか。これも結婚式マジックかもしれない。
私は、母の当時の生活を想像してみた。大学受験を控える次男のケア、あまり仲の良くない夫との夫婦喧嘩、仕事、ボランティア、家事。
そんな時に、小学生の私が「習い事が嫌だ」とメソメソとしていたら……。

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私は前回のエッセイで母を「モンスター」と呼称していた。
けれど、母は理由もなくモンスターになったのではなかった。子育てのプレッシャーやストレスに苦しみ、モンスターのような振る舞いをしてしまった、1人の母親だったのだ。
ただの人間だった。
母が私にしたことは絶対に許さない。

けれど、彼女の背景を知ることで憎しみは少し和らぎ、慈悲の気持ちが生まれた。

そして、私が辿り着いた答えは、「彼女はグレーな母親」
「白黒ハッキリさせなくていい」「好きなところも嫌いなところもある」。
よく考えてみれば、白か黒に決める必要はないのではないだろうか。
あの人は、黒いところも白いところも持ち合わせている。それが私の母で。彼女の黒いところに傷つき涙を流してきたが、時には白いところに元気づけられたり、愛情を感じたことも事実なのだ。
私だって真っ白な人間ではないのだから。 

結婚式を挙げてよかった。母の気持ちを知れてよかった。母が「モンスター」じゃないと気づけてよかった。
心がちょっぴり軽くなった気がする。