トントン。ドアのノックが聞こえる。
ノックをしているのは私自身。黄色いドアをノックしている。そして鍵のかかっていないそこを、返事も待たずに開ける。ぶわっと広がる六畳に満たない部屋。そして真正面にある大きな窓。私の判断はもう、ほとんどこちらに向いていた。

以上が、私が引っ越しを決めた瞬間の出来事だ。色んな事情があって、一人で生活することを選んだ私は何件もの内見をしていた。正直さっさと決めたかったし、かといって妥協もしたくなくて、疲れながらも次から次へと部屋を探していた。そして見つけたのが、黄色いドアが印象的な部屋だった。

あのときのノック音は、今でも選択の音だと思っている。
トントン、と木でできたドアの音がした。そこをけて広がる部屋は私の心を奪っていった。今までの選択肢をなかったことにするくらいの印象があった。内見もそこそこ、私はその家に決めてさっさと引っ越しをした。

◎          ◎ 

ただ、今少し思う。
もしも、別の物件を選んでいたら何が起きていたのだろうか、と。
今の物件はとても気に入っているが木造のため音漏れが気になる。少し高台にあるから外出が面倒に思うこともある。周囲には飲食店はなく、昔ながらの商店街も少しずつお店が閉まっていく。そんな場所に不安を抱くときもある。

けど、そういうときこそ、あのときと同じようにノック音が聞こえてくるのだ。トントン、って。

別の物件だったら、それはそれで楽しんでいたと思う。住めば都というくらいだ、どれだけ狭かろうがなんだろうが自分のテリトリーがあることが当時は嬉しかっただろうから。

けど、あのノック音は聞こえない。私はもしかすると、あのノック音が気に入っているのかもしれない。
誰もいないとわかっているのに、ノックをして入る部屋。色々と準備をしながらカーテンをけて広がる遮るものがない自然の木々は私に四季を教えてくれる。それがやっぱり好きだった。

◎          ◎ 

先程、別の物件でも楽しんでいたと思うと述べたが、それは間違いではないが今とは違う楽しみ方をしていたのは確実だろう。ノック音で「ただいま」を告げて、大きくいた窓から見える景色を見ながらお酒を飲む。こんな贅沢な楽しみ方はしていない。

もしかしたら、傍からみたら変な人間に思われるかもしれないけれど、これが私の現状だ。

人生において、意識的にも無意識的にも、たくさんの選択をしているのだろう。朝起きたときに、二度寝をしようかこのまま起きるか、などから。

一つひとつ選択が違った世界もあるのだと私は思っている。けれど、数ある選択の中で選んできた結果が現状なのだろう。これを良しとするのも、後悔とするのも自分次第なのかもしれない。これも、選択の一つなのだろうか。

であれば、私はちょっと不便なあの家に引っ越しができたことは、良い判断だったと思う。