友人が母親になった。
おめでとう。
そう伝えてあげるのが正しいのだと思う。そんなこと頭ではわかっているし、おめでたくないと思ってるわけではない。でも、どこかで友人を子供と旦那に取られたような寂しさと、嫉妬心と、生物学的な焦りの感情でいっぱいになる。

友人はよく子供の写真を送ってくる。
可愛いね
それ以外、なんて言えばいいのだろう。たくさんの写真と動画にうんざりする。他人の子などみていてつらい。

もちろん、実際、その子が可愛くないわけではない。むしろ可愛い。だからこそ親バカになる気持ちはわかる。

でも、私の気持ちだって考えてよ。そう思ってしまう。私はこれまできちんと男性と交際した経験がない。そのため、旦那に恵まれ、子供に恵まれた友人は眩しい。

彼女より私はお金を持ち、彼女より私は能力を持っているかもしれない。でも私はそんなに強い人間ではない。友人に私の劣等感などわかるわけがない。

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私は彼女より長い期間を学びに費やし、長く地元を空けていた。彼女よりライフイベントが遅くなるのは当然だ。これからもやりたいことはたくさんある。

でも、昔、大学の理事長に言われた通り、「婚期が遅れる」ことの辛さが、友人に子供ができた今身をもってわかる。あんなに彼氏はいらないと思っていたのに。仕事でバリバリ活躍するから家庭のことはあとでいい、そう思っていたはずなのに。

その当時私にとって先進的だった感情すら、負け惜しみのように聞こえる。ロールモデルになる必要なくない?そんな言葉が私のこれまでの価値観を全て否定されたように感じてつらくなる。

私は彼女のように結婚できるのだろうか。彼女のように子供ができるのだろうか。私は将来幸せになれるのだろうか。

あれ、そもそも、家庭を持つことは幸せなのか?なんのために子供が欲しいんだ?家のため?子孫繁栄のため?なら私のキャリアはそのためなら蔑ろにされていいの?家を継げという親からの呪いと私のもがきで、頭が混乱する。
キャリアプランもライフプランも私とは無縁の話。私は子供を産んでも仕事は続ける。どんどんのし上がって昇進してやる。それくらいに思っていたはずだった。

しかし、周りを見れば見るほどそんな甘い話じゃないことがわかってくる。それに、私の仕事のスピード感では、他の人が産休、育休の間に働かないと、皆に置いてかれてしまう。

子供に時間を取られたら私の夢は叶わない。そんな意味のない焦りと皮算用の未来への不安で押しつぶされそうになる。

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家族の言葉が胸の中で反芻する。結婚しろ、父親が言ってきた言葉だ。もちろん私だって結婚したい。でも強がって、結婚するつもりはない、と言ってしまう。

私と同じように親に迫られつらいと話していた友人はみんな結婚、出産をしていった。同じ悩みを共有すると思っていたのに、裏切られたような悲しさあふれる。送られてきた育児の写真を見て、涙があふれてしまう。

出産をする友人は皆綺麗だ。だから、彼女を見ると、私の男性にモテないという、どうしようもないコンプレックスを刺激されるのだろう。

彼女はとても努力家だ。肌の綺麗さも、メイクの洗練さも、彼女が努力で手に入れたものだ。私はその努力すらしていない。むしろ努力を笑っていた時期さえもあるというのに、今は、そのことを後悔している。

建前のおめでとう
建前の可愛いね
それが彼女にバレないように、私は、相場以上の価格の出産祝いを渡す。