目立たないように、自慢気に見えないように、嫌われないように。
誰もが一度は心の中で唱えたことのある言葉ではないだろうか。

けれど、これは"世間"や"みんな"ではなく"あの子"の視線を気にしているだけだということに気づいた。
「あの子より目立たないように」「自慢気だとあの子に思われないように」「あの子に嫌われないように」。

そのことを悟ったのは、小学4年生の時だった。

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その日は休み時間にクラスの女の子10人くらいでドッジボールをしていた。
すると突然、リーダー格の子が「飽きた。鬼ごっこにしよーっと!はい、タッチ!」と言って、隣に立っていた子の肩にタッチした。
みんなは一瞬「え?」と戸惑ったが、何かを察したように「いいね〜」と言って"あの子"に付いて行った。ボールを持っていた子は慌てて片付けに倉庫へ走って行った。その時、意地悪に笑う"あの子"の表情が忘れられない。
こんな休み時間が1週間ほど続いた。

「あまりに意地悪で自分勝手すぎるのではないか」
一度その考えが脳裏を過ぎると、途端に悔しさがブクブクと込み上げてきた。

どの子も笑顔で楽しそうに振る舞っていたが、私は作り笑いができず、引き攣った表情になってしまった。
"あの子"に付いて行ったクラスの子達は普通で、相手に合わせられるコミュニケーション力があって、私はその能力が欠落していたのだろうか。なんてことを考えて今でも少し落ち込む。

また、私達と"あの子"の関係は"主人と奴隷"のようだとも思った。少し言葉が尖っているだろうか。でも、小学生の私は本当にそう思っていた。

そして、小さな私は考えた。
私は"あの子"の奴隷じゃない。間違ったことをする人には「NO」と言わないと。それで怒りを買って虐められても構わない。
かかって来いよ。

数日後、私は意を決して「私、もう貴方と遊ばない。貴方は勝手に遊びをコロコロ変えるから嫌だ」と言った。
すると、"あの子"は「あ、そうだったの?じゃあ福々ちゃんがやりたい遊びやろうよ。途中で遊びを変えるのも止めるね」と言った。想定よりも穏やかな反応に私は拍子抜けした。もしかしたら「私に手を出したらただじゃ済まさないぞ」という覇気が出ていたからかもしれないが。

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普通でいること、悪目立ちしないことが常識であるような雰囲気が社会に漂っているが、本当にそれは正しい姿なのだろうか。
"普通でいること"="リーダー格のあの子に目をつけられないように"ということなのか?
それって凄く不安定だ。"あの子"が運動部の明るいタイプならハキハキとせねばならず、厳格なタイプならお淑やかに慎ましく行動しなければならない。そんな役者のような真似をするのは難しいだろう。
なによりも、物凄く馬鹿馬鹿しい。そんなことを繰り返して、本当の自分はどこへ行くんだろう。他人に私の人格を操作させているみたいだ。そんな人生は嫌だ。

このような主張を口にしたら、母は心配そうに「そんなに考えすぎずに適当に生きたらいいのに」「もうちょっと長い物に巻かれた方が…」と言った。
確かに母の言いたいことはよく分かる。私も不安が過ぎる時もある。
それでも、そんな人のためにエネルギーを使いたくない。もっとポジティブなことに使いたい。本当に善い人達のために、大事にとっておきたい。
もしかしたら、人より苦労やトラブルが多くなる可能性があるかもしれないが。でも今のところ、仲間はずれや虐めの対象になることは無かった。

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この「マイノリティでも自分の意志を貫く」という成功体験は、その後の人生の分岐点にも影響を与えた。
正社員からアルバイトへの転向、モラハラ上司との闘い、人間関係のあれこれ。
大人になった今でもあの時と同じような場面に遭遇すると、その度に小学生の私が蘇って心がメラメラと燃える。

どちらが後悔しないか。どちらが誇れるか。どちらの自分が好きか。自分に問いかける。
そして、「"あの子"の言う通りに生きる私より、意志を貫く私の方が好きだ」。
いつもこの答えに行き着く。そしてその道を進む。

これからも、そんな人生を歩いていきたい。