私はこの春、同棲をするために24年間暮らしてきた実家を出た。私の両親は別居しているし、姉は2年前に一足早く一人暮らしを始めたから、母親はこの家でついに一人ぼっちとなる。

「お母さんこれから寂しくなるね」

私は引っ越しが近づくにつれて何度もこの言葉を母親に言ったが、母はいつも笑顔でこう答えていた。

「そりゃあねぇ、けどもうお姉ちゃんもあんたも巣立って、お母さんは子育てがやっと終わったんだーっておもうよ

そういいながら笑顔で私の部屋が空いたら何の部屋として使おうかとワクワク考えている様子を見ていると、私だけ寂しいと思っているのがバカバカしくなるほどだった。

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私はこれまで、母親のことが大嫌いだと思ったことが何度もあった。例えば父親とうまくやれなかったところ。何度娘として二人の関係を修復しようと試みても、その時にはもうどうしようもないところまで来てしまっていた。家族で出かけることは、私が中学生のころから減っていき、そのあたりから父親は家庭内で自分の居場所がなくなったと察してか、帰ってくる頻度が徐々に減った。そしてフェイドアウトしていった。

今となってはどこに住んでいるのかは分からない。建前では会社の寮に住むことになったといっていたけれど、果たして本当かはわからない。だけれど、両親は離婚もしていない。ましてや、父親は月に一度ほど思い出したかのように飄々と帰ってくる。

「元気か。二人で映画に行くか」なんて何事も無かったかのように父親ぶるところも私は気づかないふりをして付き合う。
「家族」という形が途切れないように、そんな形で首の皮一枚でもつながっていられるのなら、その薄い皮の役割に私はなりたかった。

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私も大人になって、彼らにも彼らの人生もあるのだと尊重して両親の不仲に触れないでいるが、本当はもっと話し合うべきだと思う。だけれどそれを恐れて現状を維持し続けている二人を見ると何とも言えない気持ちになる。

私の家族は大体こういう形だ。

10代の頃、この現状は母親のせいもあるのではないかと私は何度も母を責めた。

「お母さんがお父さんに感謝の言葉を伝えないから、離れていったんだよ」

そんな冷たい言葉を浴びせたこともあった。父親だって悪いのに、私は今ここにいる母ばかりを責めた。母親は悲しそうな顔をしていた。

「あんたはいつも私ばっかを責めるけど、あんたたちと一緒に毎日いるのはお母さんなんだからね。時々帰ってくるだけのお父さんのことを、お父さんって呼ばないでよ。もう二人で出かけないでよ」そう涙ながらに言ってくることもあった。

犬猿の仲の両親の板挟みに耐え切れず、何度も泣き続けた日々が過ぎた。私の家族は普通じゃないのだと悩んでいた時に、本で出会った「家族に典型も定例もないという言葉が私の救いになった。そのころから、ようやく母にも父にも優しくなれた。

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いざこうして実家を離れ、すべてを自分でやる生活になると母親の偉大さを知った。私が仕事で疲れてどれだけ不貞腐れて帰った日にも、夜ご飯にはカレーが出てきたっけ。その上に目玉焼きをのっけてくれたっけ。なのに私はとにかく自分のことが中心で、お皿を抱えて部屋に駆け込んだっけ。そんな私に何事もなかったかのようにそっと触れないでくれていたのだと小さな優しさが今になって身に染みる。

「お母さんもやっと子育てを終えて、第2の人生始めちゃおうかな」

これまでに見ないほどの目の輝きで、やっと自分だけの時間を取り戻して今は幸せにやっているのかな。
先日久しぶりに実家に帰った時に、母親は新しい仕事を始めたと話していた。

「保育園の補助の仕事を始めたんだよ。ちょっと発達障害を持った子たちと関わるんだけどね、すごく楽しいよ」

そう笑顔で教えてくれた母親の腕には、子供に引っかかれた傷跡がいくつかあった。

「大変だけど、今のうちからあんたの結婚費用貯めないといかんからねぇ」そう言って目じりにしわを寄せて笑う母親は、どこまでも私の母親なのだと知った。どんなに喧嘩をしてきたとしても、自分の子供は本当に大切なのだと気づいた。

お母さん、会いたいよ。私は今とても寂しいよ。