私の母は、すでに他界しています。三年前、突然の脳出血。最期は一言も話せないままでの別れでした。
父とは離別しており、一人娘だったため、私が母の葬儀の喪主を務めました。
他に頼る先のない私に、いつ、こんな日が訪れてもおかしくはなかったのだけれど。
さすがに、まだ五十代前半の母が亡くなって、三十歳で喪主をしなければならないとは、夢にも思っていませんでした。
◎ ◎
私が葬儀に出た記憶があるのは、まだ幼い頃。幼稚園児くらいの歳だったでしょうか。
誰の葬儀が営まれているのかすら分からないまま、その場に立っていました。最後の方は、暇を持て余した他の子供たちと、外で走り回って遊んでいたような。
時が流れ、幼かった私は家庭を持ち、息子を産み、母親の顔をしていたけれど。やっぱり私も、お母さんの前では、ただの子供のままでした。
息子のことを一緒に可愛がりながら、これからも成長を見守ってほしかったのに……。
あまりに急な別れに、悲しむ暇さえないとは、このことかと知りました。
喪主を務めることで、何者かに「もう、一人前にならなきゃいけないんだよ」と、涙をぬぐうハンカチを奪われているような気さえしたのでした。
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葬儀の一連を経験して、私は母の遺志が分からず、困ったことが多くありました。
「みんなが顔を見に来るのは恥ずかしいし、お葬式はしなくていいよ」
冗談めいた、いつかの母の言葉をふと思い出してしまい、どこまで本気で受け止めたらいいのかと思い悩みました。さすがに葬儀をしないのは、まずいんじゃないか……と、冷静に思う気持ちもあります。
「母に聞けたらいいのに……」何度、そう思ったか分かりません。
結局、葬儀はこぢんまりと執り行うことになりました。
葬儀社の方にまず聞かれたのは、「宗派は、どちらですか」。私は、それすらすぐに答えることができませんでした。母と暮らしていた実家のアパートにはお仏壇もなく、あまりに縁遠いことだったのです。
次に困ったのは、参列者のこと。一体、どこまでお呼びすればいいのか。母の交友関係なんて、ほとんど把握していません。
「お母さん、ごめんね」そう思いながら、スマホのトーク履歴や通話履歴を、覗き見するしかありませんでした。
「これで、良かったのかな」
煙とともに空に昇っていったのは、答えのない問いばかり。葬儀の後は、もう居ない母に対して、なんだか気まずいような思いが胸に残りました。
葬儀の後も、母の勤務先での事務的な手続きを代行したり、母が一人で暮らしていたアパートの退居作業をしたり。母という頼る先を失って、子育てをしながらの死後の整理は、「大変」の一言では片付けられないものでした。
まだまだ母に甘えたかったけれど、もう私が母の代わりに責任を果たしていく番なんだと、嫌でも思い知らされたのでした。
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母は空の上で、どう思っていたかは分かりません。
「勝手にスマホ見ないでよ」と恥ずかしがっていたかもしれないし、「あの人には連絡しなくてよかったのに」と焦っていたかもしれません。
娘の私に任された最後の親孝行が、どこまで正解だったのか。知っているのは、もう会えない母だけ。
それでも私は、全てやり切りました。辛くて、寂しくて、母にもう一度会いたくて仕方がなかったけれど、そんな自分を抱きしめて、やっと一人前になれたつもりです。
「代わりに色々片付けてくれて、ありがとう」
そう思って、母が安心してくれているといいなと願うばかりです。
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人は、いつか居なくなる。その「いつか」が、いつ訪れるかは誰にも分かりません。
母と深く話し合ってこなかったことを、私は少なからず後悔しました。
どうか、想像してみてください。
もし、あなたのお母さんが、明日居なくなったら。
今なら、向き合っておくことができるはず。どうか、今夜はお母さんと話し合ってみてください。あなたが、誰かの子供でいられるうちに。
「いつか」のあなたの荷物を軽くする言葉が、きっとそこにあるはずです。