私の母は、すでに他界しています。三年前、突然の脳出血。最期は一言も話せないままでの別れでした。

父とは離別しており、一人娘だったため、私が母の葬儀の喪主を務めました。 

他に頼る先のない私に、いつ、こんな日が訪れてもおかしくはなかったのだけれど。

さすがに、まだ五十代前半の母が亡くなって、三十歳で喪主をしなければならないとは、夢にも思っていませんでした。

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私が葬儀に出た記憶があるのは、まだ幼い頃。幼稚園児くらいの歳だったでしょうか。

誰の葬儀が営まれているのかすら分からないままその場に立っていました。最後の方は、暇を持て余した他の子供たちと、外で走り回って遊んでいたような。

時が流れ、幼かった私は家庭を持ち、息子を産み、母親の顔をしていたけれど。やっぱり私も、お母さんの前では、ただの子供のままでした。

息子のことを一緒に可愛がりながら、これからも成長を見守ってほしかったのに……。

あまりに急な別れに、悲しむ暇さえないとは、このことかと知りました。

喪主を務めることで、何者かに「もう、一人前にならなきゃいけないんだよ」と、涙をぬぐうハンカチを奪われているような気さえしたのでした

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葬儀の一連を経験して、私は母の遺志が分からず、困ったことが多くありました。

「みんなが顔を見に来るのは恥ずかしいし、お葬式はしなくていいよ」

冗談めいた、いつかの母の言葉をふと思い出してしまい、どこまで本気で受け止めたらいいのかと思い悩みました。さすがに葬儀をしないのは、まずいんじゃないか……と、冷静に思う気持ちもあります。
「母に聞けたらいいのに……」何度、そう思ったか分かりません。

結局、葬儀はこぢんまりと執り行うことになりました。

葬儀社の方にまず聞かれたのは、「宗派は、どちらですか」。私は、それすらすぐに答えることができませんでした。母と暮らしていた実家のアパートにはお仏壇もなく、あまりに縁遠いことだったのです

次に困ったのは、参列者のこと。一体、どこまでお呼びすればいいのか。母の交友関係なんて、ほとんど把握していません。

「お母さん、ごめんね」そう思いながら、スマホのトーク履歴や通話履歴を、覗き見するしかありませんでした。

「これで、良かったのかな」

煙とともに空に昇っていったのは、答えのない問いばかり。葬儀の後は、もう居ない母に対して、なんだか気まずいような思いが胸に残りました。

葬儀の後も、母の勤務先での事務的な手続きを代行したり、母が一人で暮らしていたアパートの退居作業をしたり。母という頼る先を失って、子育てをしながらの死後の整理は、「大変」の一言では片付けられないものでした。

まだまだ母に甘えたかったけれど、もう私が母の代わりに責任を果たしていく番なんだと、嫌でも思い知らされたのでした。

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母は空の上で、どう思っていたかは分かりません。
「勝手にスマホ見ないでよ」と恥ずかしがっていたかもしれないし、「あの人には連絡しなくてよかったのに」と焦っていたかもしれません。

娘の私に任された最後の親孝行が、どこまで正解だったのか。知っているのは、もう会えない母だけ。

それでも私は、全てやり切りました。辛くて、寂しくて、母にもう一度会いたくて仕方がなかったけれど、そんな自分を抱きしめて、やっと一人前になれたつもりです。

「代わりに色々片付けてくれて、ありがとう」

そう思って、母が安心してくれているといいなと願うばかりです。

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人は、いつか居なくなる。その「いつか」が、いつ訪れるかは誰にも分かりません。

母と深く話し合ってこなかったことを、私は少なからず後悔しました。

どうか、想像してみてください。
もし、あなたのお母さんが、明日居なくなったら。

今なら、向き合っておくことができるはず。どうか、今夜はお母さんと話し合ってみてください。あなたが、誰かの子供でいられるうちに。

いつかのあなたの荷物を軽くする言葉が、きっとそこにあるはずです。