19歳、私は夢を叶えるべく、上京した。それと、どうしてもあの家から出たかった。
今の夢に至るまで、まっすぐ進んで来れたわけではない。他にやりたいことがあった。だからそれをやってから、今の夢に戻ろうと思っていた。
経済的理由で大学に行くことを諦めた私に、母は泣いて謝ってきた
1つはソフトボール選手だった。大学に行くことは、最初から諦めていた。それは家の経済面で察することはできていたから。
だけど顧問に勧められた話を母親に伝えたところ、「いいじゃん」と無責任にOKを貰ったのだ。
受験は難なく終わり、合格した。だが両親の多額の借金のせいで入学金が払えず、さらに教育ローンや消費者金融などから金を借りることもできずに、行けるのか行けないのか、うやむやな時期が2ヶ月ほど続いた。
あの時、母は毎日泣いて私に謝ってきた。それが私にはストレスで、段々学校に行くことも億劫になり引きこもっていた。
でも、こんな人生はいやだと思い、自らの手で現在の夢、声優に向かうことを決意した。もちろんソフトボールに未練がなかったわけではない。未だにソフトボールを見ることはできないし、昔話といえば部活のことばかり。
だけどあの時は、母親を泣かしてまでソフトボールがやりたいと思っていなかったのだ。だから私は、母のためにソフトボールを捨てた。
それからは早かった。養成所に入るためには何十万も必要で、私には払えそうになかったので、とにかく安い費用で入れるところを探していた。そこでみつけたのが、声優事務所。当時、私は事務所と養成所の違いがよくわかっておらず、なんとなく応募してしまった。
人生の半分以上ソフトボールにかけてきたので、演技の経験なんて何もなかった。ただ1人で単行本をそれっぽく読んでみたり、1人でセリフを考えてみたり、その程度だった。
しかし、受かってしまったのだ。それが実力だったのか、ただ単に最年少で育てがいがあったからなのか、未だにわかっていない。
未成年は保護者の許可が必要だったが、母にいえば絶対反対されるだろうから無言で受けた。受かったあと、母に報告し、大学は辞退することにした。
あの時、私は「やりたかった事のたった1つがなくなっただけ、だから気にしないで、少し前倒しになっただけだから」と母を慰めた。その時は本当にそう思っていた。
でも、あの頃のたった1つは、今の大事な1つであったことを今さら後悔している。
大学を辞退した時から、私は両親を「恨み」続けている
あれから私は、両親を恨み続けている。私は人生に関わる諦めをしたのに、両親は毎日毎日ビールを飲み続ける、挙句の果てには酔っ払って警察のお世話になる。
なんだったんだ、あの涙は。「お金が足りなくてごめんね」と謝っていたあの時の母の涙は。お金が足りなかった原因なんて、すぐ見つかるじゃないか、そのビールだよ、お前が飲み干しているその大量の黄色い液体。
4月、周りの友達が大学生になると、みんなの行動が気になり、睨みつけた。「リモート授業がめんどくさい」と騒ぎ立てる奴らに、「リモートでも授業が受けられればいいじゃないか」と言った。
私が毎日のようにバイトに出ると、「暇人だね」と嫌味を言う奴らに、「いいじゃんいつ起きてもいいし、いつ寝てもいいんだから」とほざく彼らに、私は毎日のように睨みを利かした。
友達と遊ぶことも、大学の話を聞くのが嫌で断り続けた。ひたすらバイトをいれ、現実を見ないようにしていた。でもそんな人生も、もう疲れた。全部全部あいつらのせいだ。
最近、1人暮らしを始めた。毎晩ビールを飲み干す両親を見なくなったからか、最近は心が穏やかだ。毎日が楽しい。事務所をやめて、やり直すべく入った養成所も充実して、クラスでは結構上手い方なんじゃないかと自負している。
だけど、たまにかかってくる酔っ払いからの電話には骨を折る。引っ越してきてもこれだ。「あなたがいなくてさみしいよ」と酔っ払いの戯言なんか、ちっとも嬉しくない。
だけど嫌いなわけではない。将来家を作ってあげたいし、たくさん親孝行したい。恨んでいるのだ。嫌いとは違う。
たまに来る電話だって、嫌になるけど、嬉しい気持ちもある。私がいないとダメなんだから、と少し嬉しくなる。一方で、恨んでいるのだ。私だってよくわかっていない。この感情はなんなのか。
ガチャガチャと同じように子供は親を選べない。私は親ガチャに外れた
親ガチャという言葉がある。私は外れたと思う。そして、それを親に言ったことがある。その話をしてから、見てすぐにわかるぐらい機嫌が悪くなった。あれだけの事をしておいて、それでも私が親を大切に思っているとでも? 私を仏とでも思っているとでも?
親ガチャ、もちろん言いわけに使ってはいけないと思う。 勉強ができないやら運動ができないやらは多少の遺伝はあるものの、自分でどうにかできると思う。
ただ、金やら環境やらは親のせいだと私は思う。子供に多額の金を稼ぐ術はないのだから、金もないのに子供を産むな、だから私は親ガチャは外れたと思っている。
だけど外れたからといって、そこで止まっているわけではない。 親ガチャが外れたぶん、当たった人より努力しないといけない、そこを乗り越えたら努力したぶん、当たった人よりいい未来が待っていると思うから。
両親へ
私はあなた達のせいで、人生めちゃくちゃになりました。でも、ここまで頑張ってきたのは私の努力です。決してあなたたちのお陰ではありません、事務所を決め大学を辞退したあの日から私は一切あなた達の意見を聞いていません。
そして、金も借りてないはずです。養成所代も引っ越し代も。 18歳まで育ててくれたのは感謝します。
だけど私は、親として見ていません。ただの血の繋がってる親しい人です。 尊敬もしません。親孝行はしようと思ってます。でも、自分達が育てた気にならないで下さい。
散々言ったけど、私は2人が好きです。長生きして欲しいと思ってます。結婚とか孫とか私は全然考えてないので、その分私を可愛がってね。また近いうちに帰ります。 お元気で。