中学生の頃、地元のプロジェクトで、海外研修があった。中学23年生の生徒が対象となり、オーストラリアへ1週間行くというもの。ホームステイをして過ごし、観光名所や家族ごとのふれあいなどを体験するという内容だった。

当時、英会話教室に通っていた私。海外研修があるのを知っていたが、参加はしなかった。理由は英語が話せないから。もちろん、研修に参加した他の中学生は、私以上に英語を話せない人もいた。通訳がつくので、英語を話せないという壁はほとんどないに等しいのに、私は参加をしなかった。

英会話教室の同じクラスでレッスンを受けていた他の同級生は、ほとんど参加した。参加資格は2年間あったが、受験の関係で、実質中学2年生が多く集められる。その一員にならなかったため、私は完全に出遅れた。英会話教室の先生からは、行ってきなよ、楽しいよ、と勧められていた。それがさらに行きたいという思いを消したのかもしれない。

自分で行きたいと思うまで、魅力的だと思うまで温めないと、立候補はできない。しかし、友人たちがオーストラリアに発った後、立候補だけでもしておけば良かったのかもしれないと思うようになった。

◎          ◎ 

このプロジェクトは、海外に研修に行って終わりではない。地元でプロジェクトを進めている大人たちに報告をしなければいけない。どのようなことをして、どんな学びがあったのか。経験がいかに有意義だったのかを伝えるための報告会だ。当時は報告会も気が進まなかったのだろう。

とはいえ、英会話教室通っていれば、少なくとも断片的には英語が理解できたはずだ。ホストファミリーとの会話も、緊張はするだろうが拾ってくれる寛大な心を持った人たちが受け止めてくれるだろう。勇気を出して手を上げていたら、何か今に活かせるものが合ったのではないかと思う。

この思いをしばらく引きずっていた私は、大学に入るとき、ある決心をする。大学の海外研修に参加することだ。

◎          ◎ 

大学受験を終えて、入学予定の大学から集まりがあると言われて参加した。4年間のプログラムや、イベントなどが紹介される。そのとき、姉妹都市と連携して海外研修を行っているという紹介があった。私は、問答無用で行きたい、行かなければいけないと感じた。中学生のころに手を挙げられなかった私。今度こそは参加して、後悔なく学生生活を楽しみたいと思ったのだ。加えて、学生の研修には多くの補助が出た。そのため、旅行で行くよりも遥かに安い旅費で研修に参加できたのだ。

対象学年になり、迷わず立候補した。思いっきり定型文の書類も何故か通り、無事に参加を決めたのだ。内容は、大学の勉強に関わるスポットを周り、空き時間で観光をする。研修が終わった夜に、外食やアミューズメント施設に連れて行ってくれた。こちらも1週間の滞在だったけれど、予定がぎっしりつまっていたためどれも一瞬で過ぎていった。参加してよかった、参加を選んで間違いなかったと感じた。

その後の報告会は大学の海外研修でもあった。あまり鮮明には覚えていないが、回ったスポットの数が多かったので、研修メンバー全員で分担して発表していただろう。とても楽しかったという記憶だけが私に残っている。

◎          ◎ 

中学生の頃、英語が話せないという理由で参加を見送った海外研修。英会話教室にっており、英語に抵抗感を持っているわけではなかった。それでも遠ざけてしまったことに後悔していた私。選ばなかったことで残ってしまった後悔。大学で偶然にも巡ってきた、挽回のチャンス。

とにかく飛び込むと決めていたので、周りを気にせず参加を選んだ。研修を終えて、選んだことが正解だったと確信を得た。今でも正解、いや、大正解だと思っている。大学の研修の後は、海外にまだ行けていないが、機会があればぜひ行ってみたいものだ。その時までには多少英語もスキルを磨いておきたいけれど。

そして、この時を境に、やらぬ後悔よりもやって砕けることを大切にするようにした。大人になっても新たな挑戦ができたのは、中学生と大学生の経験があってこそ。確実に今の人生の道標となる経験だったと思う。