5時間。映画「悪人」を観た時、嗚咽するほど泣いた時間だ。

平凡な人生だったと思う。20歳、大学生活を送っていた私は、このまま卒業して就活して、子どもが好きなので保育系の道に進むものだと思っていた。しかし、大きな転機があった。それが「悪人」という映画を観たことだ。

その映画は「殺人を犯した男が、出会い系サイトで出会った女性と一緒に警察から逃げる」という内容だった。不幸な身の上で、内気だが、カッとなったら何をするかわからない主人公。大学生活を謳歌している私とはかけ離れた人生を送っていた。田舎暮らしで、自己主張ができなくて、毎日同じように暮らしていて。

しかし、彼の言葉や、表情を観ていたら、それがあまりにも私自身で。この人の孤独と私の孤独は同じものだと確信した。気がつけば息ができなくなるほどに泣いていた。

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私の孤独は私だけのものだと思っていたのに、他の誰かがこの孤独を表現してくれたのだと思うと、ものすごく救われる思いがした。私だけが寂しくて、ひとりぼっちなんじゃないと。それは希望だった。人生で1番、心が動いた瞬間だった。

それから私は映画作りの道に突っ走った。22歳の時に、アルバイトで貯めた30万円を元にして映画を撮った。私の誰にも見せたことのない心の傷や、思い出すだけで泣けてくるような幸せな時を盛り込んだ映画だった。

初めての映画作りはもう散々で、役者もスタッフも誰も私の言うことを聞いてくれないし、毎日現場の雰囲気は最悪で、体力的にもとてもきつかった。それなのに、作っている最中はものすごく楽しかった。

その映画が幸運なことに映画祭で賞を獲り、映画監督の仲間たちと出会うことができた。その仲間と切磋琢磨しながら、次の作品を構想し、25歳の時には商業作品を手がけた。

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この商業作品を撮っていた時、あまりにも不眠不休で頑張り、体調を崩してしまった。なんとか映画は作り終えて公開することもできたが、顔面が麻痺する後遺症が残った。これについては今も治療中で、一生完治しないかもしれない。

それを知った両親からは映画作りを止められた。もっと安定して、命を掛けなくてもいい仕事をすればいいと言ってくれたので、一度は保育の仕事をやってみたりしていた。でも、ダメだった。保育の仕事をしている時もどこか自分の居場所はここではないとう思いがあった。

どうしても見たかった景色をカメラに収めた時の感動。「私のことを描いてるみたいで、泣きました」という感想をもらった時の、私の方がたくさん泣いてしまうほどの喜び。そして、映画に救われたから、映画で人を救いたいという思いがあまりにも強くて、もはやこれは私の宗教だ。

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映画を撮る中で、向いていないと思う瞬間は無数にある。体力も気力も足りない。現場はいつだってハプニングの連続で、心臓がもたない。その反面、一度やってみた保育の仕事はとにかく楽しくて、子どもたちが愛おしくて、ずっと続けられると思った。映画の世界と出会わなければ。映画作りの道を選ばなければ。

保育士として生きていく道が、もしかしたらあったのかもしれない。それはそれで険しい道だったと思うけれど、病気にはならなかったかも。でも、映画を作り続ける道を、私は今も選び続けている。壁にぶち当たるたびに、本当にこの道でいいのかと考えてしまうけど、結局は好きだからやめることができない。

描きたいものがあり続けるから、映画を撮り続けている。生きているから。映画を作ることが、私にとって、生きるということだから。