わたしは、にらめっこで母に勝ったことが一度もない。

どんなに変な顔をしても、びくともしない。どうやったら勝てるのか。子どものときからずっと考えているが、対策が見つからない。母はただこちらをまっすぐ見ているだけで、変な顔をしているわけではない。こっちが一生懸命笑わせようとしても、その微動だにしない顔に根負けして笑ってしまうのだった。我々姉妹は全員30歳を超えてもなお連敗中である。

母はちょっとのことでは動じない。保育園から早帰りして家で絵本ばかり読んでいても。運動嫌いのくせにいきなりサッカー部に入りたいと言っても。

ユーモアが溢れているのに、どんと構えている母。離れて暮らしていても、帰省するとやっぱりわたしは「子ども」になる。その安定感に無意識に甘えようとしている。変わったのは年齢だけで、にらめっこの強さと母らしさはいつまでも変わることはない。

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そんな母が泣いているのを2回だけ見た記憶がある。

1回は祖母、つまり母の母が亡くなったとき。火葬場で静かに涙していた。もし母がいなくなってしまったら。焦げるような匂いの中で赤々と燃える炎を見つめながらそう考えたとき、胸が苦しくなった。

もう1回は小さいときのはっきりとしない記憶。夜中、わたしたちが眠りについた頃、暗い部屋の中で少しだけ嗚咽しながら泣いている声を聞いた気がする。夢なのかもしれないが、幼いながら、脳裏に焼き付いた母の泣き声。今思えば、その頃から父親のいない日常が始まった。

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離婚。わたしたちの「日常を守る」という決断。母の中にはとんでもない重みがあったはずだ。祖父母も姉妹もいたし、寂しくはなかった。むしろ家族で過ごす時間が大好きだった。毎日一緒にご飯を食べてテレビを観ながらああでもないこうでもないとみんなで笑い合う。仕事で忙しい中でも一緒に過ごす時間を増やしてくれた母のおかげだ。

今まで通りの毎日を過ごす「日常」。それは母が全力で守ってきてくれたもの。それなのに、わたしは母の守ろうとしていた大切な毎日を壊してきた。当たり前と思われる道を選んでこなかった。

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でも、母はやっぱり動じなかった。いや、「動じてないように見せていた」のかもしれない。わたしの決断や意見を聞くだけではなく、ちゃんとダメなことはダメだと言ってくれる。それは「否定」ではない。わたしの可能性を応援しながらも、あらぬ方向に行かないように守ってくれていた。

「あんたはそうなると思っていたよ」

ああ、全てを見抜かれていたんだ。
「仕事を辞めて大学院に戻りたい。留学したい」と伝えたときに母から言われた言葉。初夏の日曜日の夕方。薄暗くなってきた台所で夕飯の準備をしているときに伝えた。緊張で空腹も美味しい香りも感じなかったのを覚えている。

いくら娘とはいえ、必死に守り続けてきた「日常」を破壊しようとするやつにどうしてそんな言葉をかけることができるのだろうか。簡単にできることではない。わたしが自分らしい道を進むことができているのは、母がわたしの思っていた「日常」への違和感を認めてくれたから。新しい「日常」を作ろうとしたわたしの背中を強く押してくれた。

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わたしも母のようになれるのか。苦しい気持ちも抱えながら、導き、強く背中を押してくれる人間になれるのか。

母のようにはなれっこない。母にはどうやっても勝てない。でも、自分の絶対に守るべきものに気づくことができたら、きっとびくともしない心を持つことができるのだろう。まだまだその領域へたどり着けそうもないけど、わたしが目指すべき場所が分かった気がする。

母よ、わたしがにらめっこに勝つその日まで、健康に気長に待っていてくれ。