本当に、母には感謝をしている。
私立の中高に通わせてくれたし、大学だってすべての学費を出してくれた。そのために身を粉にして昼も夜も働いていたことも知っている。私がブラック企業に勤めていたときも「早く辞めな」と言ってくれて、大量の仕送りと少々のお小遣いを送ってくれた。
本当に感謝している。だけど、何故だか全然満たされない。母が私のことを愛していないわけがないのに。

今でも私の心は母からの愛を渇望している。

それを如実に感じたのは、姪っ子の誕生だった。

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数年前、姪っ子(姉の娘)が産まれた。母にとっては初孫。それはそれはもう、目に入れても痛くないという様子だった。
実家近くに住む姪っ子の家に、母は毎日のように通った。それは産後の姉をいたわるためのものでもあり、姪っ子の面倒を見るためでもあった。それが、今でも続いている。

私が久々に実家に帰っても、「じゃあ姪っ子のところに行ってくるね」と出かけていく。帰宅してからも「姪っ子ちゃんはかわいいのよ」とか「あの子はいい子!かしこい!すごい!」とベタベタに褒めちぎり、姪っ子の話しかしない。私はそれを虚無顔で、他人事のように聞き流す。わかるよ、わかる。姪っ子は本当にかわいい。私も会うとでろでろ甘々になってしまう。だけど、母から姪っ子の話を聞けば聞くほど、私の心がパリパリとひび割れていくのを感じる。

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久々に会った私に興味ないんだね。
ねえ、ママ、私のことそんなにかわいいって言ったことあるっけ。
頭は……まあ私は良くないからかしこいなんて言われないだろうけど。

ママにとって、私はかわいくない、かしこくない娘だった?
言うことを聞かない、問題児だった? ママを苦しめた?

ねえママ、私のこと、好き?

そう尋ねれば「そんなことない」「好きだよ」と言うだろうけど、それ以外の答えが返ってくる可能性も捨てきれなくて、私はそれを今でも聞けずにいる。というか、30を超えた大人が、嫉妬心全開で、わざわざ聞くことでもないから聞かない。

幼児と張り合おうなんてなんて浅ましいんだろう。私はとうの昔に成人しているし、しっかりと自立した大人だ。だけど私は今でも母の子どもで、今でも「かわいいよ」「かしこいね」「だいすきだよ」という言葉を求めてしまう。「お手伝いしてくれてありがとう」って言われたい。何よりも私を優先してもらいたい。

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いい学校に通わせてもらって、学費も出してもらって、たくさんの仕送りをしてくれて、たくさんたくさん面倒を見てもらった。頼る人が身近にいなかった状態で、ここまで育ててくれたことに感謝しかない。それで満足すればいいのに、満足できない娘でごめん。私にとっての愛は、目に見えない、形がない、言葉や対話というものみたい。
ただ、母はきっとそれを理解してくれないと思う。人に物を与えることが愛と捉えている節があるし、人の話を聞くのが苦手だから私が何を言ってもキョトンとするだろう。親子だからわかる。きっと母の愛の形は私の求める愛とは噛み合わない。

私の乾きはきっと一生無くならない。だからといって、母と私の間に愛という結びつきがないわけではないと、私は信じているのだ。