もし、子どもができていなかったら、産んでいなかったら。お母さんだって好きな勉強をして大学に行って、もっと良い人生が、とか思うことだってあるよ。でも、でもさ。
でも、何なの。少しでもそんなことを思うくらいなら、親になっちゃだめだよ。無責任すぎる。
ねえ、17歳だった母。もうすぐ30歳になる娘が、こんな歳になってもぼろぼろと泣きながら書いたから。もし届いたなら読んでほしい。
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拝啓、17歳の母へ。
貴女が私を産むと決めたのは、高校2年生の16歳だったと思います。その年齢と同じ16歳の私は、自分ではどうにもできない自然災害に心の臓を揺さぶられ、なぜ生きるのか、どのように生きていきたいかを考え始めます。
きっかけは貴女の言葉。「産んでいなかったら」の、その先に描く未来が眩しすぎたのです。どうして明日を待ち望んでいる人が亡くなって、こんなにも死にたいと願う私が生きてしまっているのか、考えては悩む日々でした。
17歳の誕生日。色々な人生の選択肢がこの先ある中で、命を殺すことはできないと私を産み落とした貴女と同じ年齢になった日です。命が生まれてしまった先で死ぬことを願うなんて、想像もしなかっただろう貴女を想い泣きながら眠りました。親不孝者でごめんなさい。
事件の18歳。貴女は私と一緒に死のうとするのです。憎しみに満ちた目で、羨ましいなあ、ぼそっと呟かれたことを憶えています。そう言える貴女が、とても羨ましくありました。私の生を決めることができるなんて。こんなに苦しくて辛くて、どれだけ頑張っても幸せになれなさそうな人生、生まれる前の私なら願い下げ。
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だけれども、30歳を目前に迎えた私は、貴女の娘を人生かけて全うしようと決めました。貴女の子どもだから感じられたこと、見ることのできた景色や経験が、気付いたら宝物のようにあります。温度のない立体パズルのピースみたいに不格好で、ピース同士がかちりとはまったときに意味を見出せたり、輝いたりするそれらが抱えきれないほど沢山。
だから、ひとりで生きることをやめました。
結婚とか出産とか女性の一般的な幸せを、親は子に期待したり望んだりするのだろうけど、私は他人ありきの幸せなんていらないし、そんな無責任な願い事を叶えてあげられないから。期待しないでね。
いつか私が言い放つ言葉に少しだけ赤入れさせてください。
何の相談も連絡もせずに入籍しました。幸せになるための結婚ではありません。ただの入籍です。貴女の娘としてどのように生きていきたいか、長く考えた末の結果となります。
少しだけ肩の荷を下ろして、抱えてきたものを少し誰かに預けたくて、それを無責任に抱きしめず隣で眺めてくれる人を相方にしました。
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安心はできないだろうけれど、安心してください。そして、見守らなくても結構です。貴女は十分すぎるほどに私のことを、見守ってきました。それはもう、監視カメラと言っても過言ではないように感じます。穴が空くほど見られて大人になった私は、メンタルに穴が空いてしまったので、もうお役御免でいかがでしょうか。
それと言っては何ですが、この機会に私から見た貴女をお伝えしておきます。
お母さんなんだから、そう言い聞かせてひとつずつ傷ついて大人になってきた姿を知っています。見ていないように見えて、ちゃんと見てきました。母としての後ろ姿を、頑張っている姿を。
大人と言われはじめた20歳をとうに過ぎて、「でも、でもさ」の続きを知りました。殺せなかったからじゃない、私に会いたかったから産むことを決めたんですね。
だから、お願いがあります。もうお母さんを頑張らないでください。頑張らなくても、私は貴女の娘です。
敬具
令和6年2月29日
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追伸
お化粧の仕方がわからない、と言った私に、自分で勉強しなさいと怒っていたよね。覚えている? アイライナーで目の周りを真っ黒にして、お化けみたいな顔で「変?」と聞いてきた貴女を。きっとなけなしのお金で買った、目を大きく見せたくて買ったそれ。思い返せば、20歳くらいかな。
あの頃の貴女に、お母さんにもう1度だけ会いたいなあ。きっと良い親友になれると思うんだ。何度けんかしても、何度も仲直りして、少しずつ成長して大人になるような良い親友に。