「じいちゃん、亡くなったよ」
大好きだった祖父の訃報。
電話越しに父から告げられたのは、私の誕生日のちょうど1ヶ月前のことだった。
もうすぐ誕生日だからプチ贅沢でもしようかな、なんて浮かれていた気持ちが一瞬で消え去ったのをよく覚えている。
他県に住んでいた祖父に会いに行くのは、決して頻繁な数ではなく、私にとってレアイベントだった。レアイベントの発生回数は年に2回、お盆休みとお正月。
祖父の家に沢山の親戚が集まって、豪華な食事と談話を楽しむのだ。
久しぶりに会う同年代のいとこもいて、夜更かしして怒られるまで遊んでいた。
そんな中、祖父と私にはさらにもうひとつの楽しみがあった。
誕生日だ。
◎ ◎
8月生まれの祖父と、1月生まれの私。
ちょうどお盆とお正月の時期と被っていたため、祖父の家に帰省したタイミングで毎年、それぞれの誕生日のお祝いをしてもらっていたのだ。
ただでさえ嬉しい誕生日なのに、普段はなかなか会えない親戚が揃って、みんなが盛大に祝ってくれる。
しかも、そんな贅沢な誕生日を味わえるのは私と祖父の2人だけ。
「2人だけ毎年みんなに祝ってもらって、みんな揃ってケーキが食べられて特別だ。わしらだけの特権だなぁ」
そう言って心底嬉しそうに笑っていた祖父の顔が忘れられない。
孫全員からモテモテで人気者の祖父が、2人だけの特権と言ってくれた。
他の人にはない私と祖父だけの特権が、自慢してまわりたいほど嬉しかった。
◎ ◎
祖父が亡くなったのは、コロナ禍真っ只中の冬だった。
病気が発覚してから入退院を繰り返していたが、コロナのせいでほとんどお見舞いに行くこともできず、あの時こうしていれば、もっと話していれば、と後悔の残る別れだった。
たまたまスマホで撮影していた、祖父の79歳の誕生日会の動画を見返しては泣きそうになる。
本当はもっともっと先までお祝いしたかった、お祝いされたかった。
2人だけの特権をもっと感じていたかった。
お盆やお正月がくるたびに、親戚みんなに囲まれて嬉しそうにケーキを食べていた祖父の姿を思い出す。
◎ ◎
祖父が亡くなってからというもの、親戚で集まる機会がめっきり減った。
コロナで集まれない時期が続いていたというのと、私含む孫たちが就職や進学で自立し始めたこともあり、タイミングを合わせて集まることが難しくなったのだ。
私と祖父だけの特別な誕生日会が行われることもなくなってしまった。
親戚みんなで集まって誕生日を祝ってもらうこともなければ、そもそもその場に祖父がいることもないのだと思うと少し……いや、かなり寂しい。
しかし、祖父と私だけの特権を無かったことにする気なんてさらさらない。
ケーキがなくても、誕生日会がなくても、親戚みんなで集まることができなくても、私の中でずっと大事な記念日、かけがえのない特権として輝かせ続けてみせる。
今年のお盆は、ケーキを買って帰ろうと思う。
久しぶりの誕生日祝いに、きっと空から祖父も喜んでくれるだろう。