私が結婚したのは25歳の時。まだ社会に出て3年目だった。中学時代に出会った夫とはもう10年以上の付き合いだったし、結婚するならこの人しかいないという確信もあった。すでに同棲していたこともあり、めんどくさいから早く結婚したいとも思っていた(田舎だと結婚していないのに一緒に住むというのは、あまりよく思われない)。

結婚しても今の生活が何も変わらないと思っていたのも、結婚に踏み切った理由の一つだった。夫は転勤もない職場だし、今だって一緒に住んでいるし、ただ苗字が変わるだけ。「どうせいつか結婚するなら、もうしちゃう?」そんな感じ。

だけど、周りの反応は違った。結婚したとたん、子供、子供、子供……飲み会を欠席した時、熱が出て会社を休んだ時、髪の毛をバッサリ切った時ですら、妊娠したんじゃないかと職場で噂になった。悪気があるわけじゃないのは分かっているけど、正直うんざりしていた。

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私たちはまだ子供を作る気はなかった。二人ともいつか子供は欲しかったし、年齢とともに妊娠率が下がるというのも、もちろん分かっていた。でも、夫もまだまだ若手で、ばりばり働きたい時だったし、私は転職したいという気持ちがあった。

子供を産んでからの再就職が難しいというのは、先輩たちからよく聞いていた。実際、子供がいなくても結婚してからの転職も大変だった(どこの面接でも「お子さんの予定は?」と遠回しに聞かれた。入社してすぐ休まれたらたまったものじゃないだろうし、企業がそこを聞きたいのは当たり前だとは思う)。分かっていたけれど、転職してからすぐに結婚するのは、なんだか会社をだましたみたいで落ち着かなかった。

そこで私は結婚してから転職活動を始めることに決めた。コロナ禍で就職活動ができなかった時期もあって、運よく転職できて仕事にも慣れ、ようやく妊活をはじめた時には28歳になっていた。

そして現在、29歳の私は絶賛不妊治療中である。病院通いの日々、後から結婚した友達がどんどん妊娠していく、事あるごとに気持ちが沈んで、一生子供をもつことができないのではと不安が襲ってくる。両親や夫の両親にもなんだか申し訳なくて、盆暮れ正月の集まりが近づくたび憂鬱になる。

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そもそも、前の職場で不妊治療なんてできなかった。有休は「とっていい月」というのが指定されていて、急な早退や休みはそれなりの理由がないと言い出せない雰囲気。子供の体調不良で早退する上司が、毎回申し訳なさそうに何度も頭を下げながら帰っていく様子が今でも脳裏に残っている。

年の近い先輩のほとんどが結婚とともに退職していった。そんな中で、不妊治療で休んだり遅刻早退を繰り返したりすることは、気にしいな私にはとてもできなかっただろう。

結婚してから夫婦二人きりで過ごした時間は、私たちにとって必要な時間だったとも思う。家庭では二人で色んな話をし、職場ではそれぞれ一生懸命働いて、充実した日々だった。コロナ禍もあり、世の中が不安でいっぱいの中で、お互いの存在の大切さを改めて認識したりもした。

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でも、そうやって割り切ってみても、やっぱり25歳のあの時から妊活していれば……という気持ちは消えない。きっとこの気持ちは子供を産むまで、もしくは完全に諦めがつくまで消えないのだろう。

「あの時選んだ道は正しかった」そう思えるようになるにはまだまだ時間がかかりそう。だけど、どんなに辛くても「この道は二人で選んだ道だよ」と言ってくれる人がいる。だからもうしばらくは、この道を前を向いて進んでいこうと思う。