最初に断っておくと、私の就活には正しいところがひとつもない。「就活しんどかった」ここで終わり。「けど」はつかない。何のオチもない、ダメ学生のダメダメ就活体験記だ。

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大学ではなく短大に通っていたため、1年生の3月から私の就職活動は始まった。しかし、どの企業の面接会場に行っても、私はすっかり周囲の学生たちに気圧されてしまった。

そこにいる学生はほとんどが大学3年生で、自分より2歳年上。全員が自分よりずっとずっと大人に見えて、ずっとずっと凛とした表情を浮かべている。同じリクルートスーツを着ていても、どうしようもない居たたまれなさを覚えずにはいられなかった。

「こんな仕事がしたい」「こんな会社に入りたい」と明確な指標が定まっていなかったのも、就活生として堂々と振る舞えない要因だった。とはいえ、自分の将来がどんなに上手く思い描けていなくても、時間は容赦なく進んでしまう。

大学に編入する気もない自分は、つまりは卒業後は社会に出て働かなければならない。そもそも、早く就職したいから大学ではなく短大を選んだはずなのに、いつまで経っても心はぐらぐらとしていて安定を欠いたままだった。

こんな自分を雇ってくれるのであれば、別にどこでもいい。そんないい加減な気持ちで就活に臨んでいたから、上手くいくわけなんてなかったのだ。

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就活が解禁され、最初のうちは多数の企業にエントリーしたりとそれなりに励んでいたものの、途中でぽきんと気持ちが折れた。2年生の6月頃のことだった。

面接を重ねれば重ねるほど、暗く深いところへ沈んでいく心。最終選考まで進まず早々に振り落とされてしまうことによるショックや、内定がなかなか出ない焦り……が理由ではない。「自分をアピールする」という面接の大前提そのものが、苦痛で仕方なかった。

そんなことを就活の場で言っていてもどうにもならないし、本末転倒なわがままでしかないこともわかっていた。多かれ少なかれ、他の学生たちも悩みながら、苦しみながら、自分という人間を就活仕様に武装して、闘っている。

けれども私は、この武装が嘘偽りだらけの脆い鎧のように思えてしまい、面接官の前でそれっぽい受け答えをしている最中はいつも呼吸が浅くなった。

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そして、とある企業の個人面接の場で、私は無様にもぼろぼろと泣き出してしまった。
感情のコントロールが効かなくなったきっかけは、「どうして公立高校から通信制の私立高校に転校したんですか?」という面接官からの質問だった。

履歴書を見れば、私の学歴が少々特殊なことはすぐにわかる。この質問自体は他の企業の面接でもほぼ必ず聞かれる質問で、「家庭の事情で通学が難しくなり、自宅学習で勉強が進められる通信制高校に移ることになりました」が、用意していた答えだった。

本当は、全然違う。不登校が続いたり自殺を図ったりしたことが理由だけれど、そんなことを面接で馬鹿正直に言えるわけがなかった。自分をアピールするどころの話じゃない。心証が悪すぎる。

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嘘の答えに対して、大体の面接官が「そうだったんですね」とさらっと流して別の質問に進んでいったけれど、前述の企業だけは違った。「家庭の事情って何ですか?」と質問をさらに深めていく。

しどろもどろになりながら、「仲の悪い両親が毎日喧嘩していて」「不安定になった専業主婦の母を家にひとりにはさせておけなくて」「母は元々身体が弱くて」と、本当と嘘を交じえつつ言葉をつないだ。

私は一体何を喋っているんだろうと思った。不安定になったのは誰でもないお前だろうとも思った。もう何でもいいから早くこの時間を終わりにしたい。そのときの私には、それしか考えられなかった。私の顔面は、汚い涙でどんどんぐちゃぐちゃになっていった。

酷く取り乱してしまった後、どう面接が終了したのかあまり記憶がない。涙のせいで崩れた顔のまま、早歩きでオフィスを後にして駅へ向かったことだけは覚えている。吹き荒ぶビル風が、就活生として最悪な姿を晒した私を嘲笑うかのように全身を刺してきた。痛くて、悔しくて、恥ずかしかった。哀しくて、辛くて、このまま消えてしまいたいとも思った。

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その日を境に、私は就活をぱったりとやめた。選考中だった企業は全て辞退を申し出た。日取りが決まっていたにもかかわらず、面接を無断キャンセルしたこともあった。今考えれば、とても失礼なことをしたと思う。

短大の授業に出る気力も失せてしまい、キャンパスからはどんどん足が遠のいた。周囲の友人は、次々に就職先が決まっていく。どんな顔をして一緒にいたらいいのか、わからなかった。心配してくれる友人の気も知らないで、「会いたくない」と身勝手に拒絶した。

キャンパスに行くフリをして家を出て、日が暮れるまで街の図書館にこもる。そんな日々がしばらく続いた。とはいえ、そんなその場しのぎの逃亡には限界がある。私がリクルートスーツを全く着なくなったことは当時同居していた母もさすがに察していて、「就活、全然やってないよね?」とある日問いただされた。

大体時を同じくして、短大で所属していたゼミの先生からも呼び出され、個人面談が設けられた。何もかもから逃げている現状をざっくりと打ち明けると、半強制的に学内のカウンセラールームに連行された。2年生の11月頃のことだった。

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気力がないなりに、「就職先が決まらないまま卒業するのはまずい」「あと卒論書かないと卒業できない」という最低限の危機感は働き、そこからようやくスイッチが入った。猛スピードで卒論を書き上げ、卒業式の数日前にどうにか内定がもらえた。

「就活しんどかったけど」の後にあえて言葉を続けるなら、「何とか滑り込んだ就職先がとても働きやすい職場だった」かもしれない。数年前にすでに辞めてはいるものの、今でも私にとって大切な場所だ。時々連絡をくれる先輩もいて、その度に温かな気持ちになる。

散々だった就活生の私をギリギリの所で拾ってくれたあの会社には、きっとこの先も感謝し続けるだろう。

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