「虎に翼」主人公入学の約20年前に、女性入学を認めた東北大学

――女性3人に入学が許可された1913年。NHK朝ドラ『虎に翼』の主人公が法学部に入学したのが1932年なので、その約20年前と思うと、相当先駆けだったように思います。なぜ東北大学は女性を入学させることができたのでしょうか。

東北大学は、旧帝国大学の中だと開校したのが東大、京大に次ぐ3番目。その中で優秀な人材を集めるために、東北帝国大学は「門戸開放」建国理念の一つとしました。

旧帝国大の受験資格は旧制高校卒業生のみだったのを、東北帝国大は「優秀な人、ぜひ来て下さい」と高等師範学校や専門学校 の卒業生などにも広げたのでした。

そうした流れもあり、「東北帝国大学なら女性も入学させてくれるのではないか」と考えた東京女子高等師範学校(女高師、現お茶の水女子大学)校長の中川謙二郎さんが、同校で教鞭をとっていた黒田チカさん(当時29才)ら、優秀な女性を進学させるために推薦。それを受けた東北帝国大学から「入試を受けて合格するなら良いですよ」とお返事があったようです。

文部省から物言いがついたが、東北大学は3人の女性に合格通知

女性4人の受験者のうち3人の合格が新聞にリークされ、文部省(現在の文科省)からは「本当に入学を許可するのか」と問いただす通知も届いたのですが、東北大学は3人に合格通知をだしました。

文部省から届いた通知。「元来女子を帝国大学に入学せしめることは前例これ無き事にてすこぶる重大なる事件」とあり、国としては女子大生の誕生に関して、大学として慎重な態度を望む、という圧力が透けて見えるものでした=東北大学史料館提供
文部省から届いた通知。「元来女子を帝国大学に入学せしめることは前例これ無き事にてすこぶる重大なる事件」とあり、国としては女子大生の誕生に関して、大学として慎重な態度を望む、という圧力が透けて見えるものでした=東北大学史料館提供

――黒田チカさんと、丹下ウメさんと、牧田らくさんの3人の女性が合格されました。その後、3人はどういう人生を歩まれるのでしょうか。

この当時、帝国大学に行くということは、専門的仕事に就くことを目指すことを意味し、女子が大学に行くことは考えられませんでした。いわば、道なき道を選択したわけで、その覚悟は相当なものだったと思います。3人中2人は生涯独身でした。

日本初の“女子大生”の3人=東北大学提供
日本初の“女子大生”の3人=東北大学史料館提供

――黒田さん、丹下さんは卒業後に、国費でイギリスやアメリカに海外留学をされます。資料※によると「その頃国費で女子が留学する場合は、表面には表れていないが、一生独身でその道を続けていくという密約があったという」とされています。「女性初」を背負って、自分の私生活を捨てて、研究に取り組む。実際にお二人が残された功績を見ても、どれだけのプレッシャーのなかで努力されたんだろう。想像もつきません。

お二人はその後、博士号もとり、黒田さんは有機化学者として、丹下さんは化学者・農学者として女性科学者のパイオニアとなります。

結婚して、表舞台から消えた方の人生にも価値がある

――それから気になったのは、唯一ご結婚された牧田さんも大学のHPでは「孤高の洋画家・金山平三の妻」と紹介されています。 「初の数学科女性理学士」という経歴があっても、晩年は「○○の妻」におさまってしまうんだなと。

はい、牧田さんは結婚と同時に女高師の教員としてのキャリアを捨てましたが、数学の論文を投稿した記録は残っています。むしろ、夫である画家のマネージャーとして活躍されたようです。

昨年開かれた女子入学110年の記念式典の際に、夫の洋画家・金山平三さんの研究をされている兵庫県立美術館学芸課長の西田桐子さんが「金山さんの作品は他の画家よりも、たくさん残っている。それは、数学科出身の牧田さんがリストアップして管理していたから、戦時下で失うものが少なくて済んだのではないか」と話してくださいました。そういう評価の仕方もあるんだなと。隠された彼女の歴史を知ることができたように思いました。

表から見えなくなる人もいるけれど、どの人生も価値がある。どれが良い・悪いかを他人が論ずる話ではなく、自分らしい選択ができるようになってほしいなと思います。

「女子大生」という言葉は差別的?なぜ「男子大生」はないのか

――「女子大生の日」と命名した件で、ひとつお聞きしたいことがあります。「女子大生」という言葉は、差別的ではないかという考え方もあります。例えば、朝日新聞では「男女を対称的に使う、対のない言葉は使い方に注意を」という理由で、「女子大生」は「(男子大生という言葉がないことからも)一種の『ブランド』として性的な商品価値と結びつける風潮もあり、助長しないためにもなるべく言い換える」とされています。

「女子学生の日」とする案もあったのですが、そうなると「帝国大学で初めて」という情報が抜けてしまう。当時、女子大学校や高等師範学校などは存在していたので女子学生がいなかったわけではなく、「初」となると間違いになってしまうので使えない。そこで「女子大生」となりました。

――例えば、朝日新聞の場合は、紙面で使う時は「女子大学生」としています。

そもそも、東北大学が正式に記念日登録きっかけになったのは、ネットに8月16日が「女子大生の日」として出回っていたことでした。16日は、新聞にリーク記事が出た日だったので、正式に女子学生3人の入学が官報に掲載された8月21日を「女子大生の日」として登録しました。

3人の入学を伝える新聞記事「帝国大学創設以来未だかつて無かりしこと」=1913年8月16日、東京朝日新聞
3人の入学を伝える新聞記事「帝国大学創設以来未だかつて無かりしこと」=1913年8月16日、東京朝日新聞

理系女性をさす「リケジョ」も差別用語ではないかという声で現在は使われなくなりましたが、これは2010年に講談社が「Rikejo」という雑誌を創刊するほど当時はよく使われていました。時代によって言葉の持つ意味、背景も変わってきます。記念日は固有名詞で変えられないですが、HPなどで、記事を書くときは「女子大学生にしましょうか」という議論も学内ではしています。

今、「男子大生の日」というのがないのは、男子大学生が多数派だからですよね。例えば、東北大学のキャンパス(宮城県仙台市)を歩いていても、青森県人会はあるけど宮城県人会はないんですよ。それは仙台では宮城の人たちは多数派だからで、マイノリティはコミュニティをつくって情報交換をしないといけない。そういう意味では、まだまだ少数派の「女子大生」のための日を作ることは有効かなと思うんです。

昨年開かれた女子入学110年の記念式典の様子=東北大学提供
昨年開かれた女子入学110年の記念式典の様子=東北大学提供

男女差別はまだある。自分の壁の有無以外にも目を向けて

学生のなかにも、男女問わず「まだ男女差別ってありますか?」という人はいます。それは、その方が優遇されてきたから気づかなかっただけ。自分の壁の有無だけじゃなくて、恵まれていない人に壁があるかもしれないということまで気付くことが大切です。「女子大生の日」には、100年前の女性たちの前に置かれた高い壁を打ち破ったパイオニアたちに思いをはせ、みんなで現在残っている壁も一つ一つ壊していく力になってほしいと思います。

資料※ 香川ミチ子、女性科学者の先駆・黒田チカ、自然24(1969)/前田候子、〈特別寄稿〉黒田チカ先生の生涯と研究、お茶の水女子大学女性文化資料館報第7号(1986)

【“女子大生の日”企画】かがみよかがみ、朝日新聞社6メディア横断エッセイ募集スタート!8/21大賞発表

かがみよかがみでは、「女性が希望のキャリアを選択できる社会」に向けて、社会全体で取り組む機運の醸成を目指し、8月21日「女子大生の日」に向けた特集企画をスタートします。かがみよかがみを中心に、朝日新聞社が運営する6つのメディアとともにエッセイを募集。採用されたエッセイの中から入賞作品を、8月14日~20日の「女子大生の日ウィーク」にて発表し、8月21日に実施する「女子大生の日」のイベント内にて、大賞作品を発表します。