「あなたは私よりお父さんの血だから」

子どもの頃から言われてきたことだ。

昔から、顔立ちはもとより、気難しく内気な性格含め、私は父に似ていた。母とはなんとなく感性が違うと感じることも多かった。でもその言葉はまるで、「あなたとは一緒にしないでね」という、まるで拒絶のような意味に響いた。

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私は中高の女子校にも馴染めず、社会人になったら男社会の職場に放り込まれ、自分の振る舞いには戸惑い続けてきた。常にどこか周りから気を遣われ浮いた存在できていた。

かたや私の母は、女子校時代も友だちがたくさんおり、OLになったら一般事務で似たような環境で育った女性たちとつるんでいたようだ。卑屈なところもなく、いまだに年齢にそぐわないような突拍子もない主張をすることさえある。それは裏を返せば、めちゃくちゃなことを言っても許されてきたということでもある。

私の母は、高齢出産で私を生み、私の同級生の親よりはだいぶ上のバブル世代なのである。当時は就職難などなく新卒は引く手数多の時代。腰掛けOLという概念もまかり通っていた。恋愛や結婚でも女性が大事にされわがまま放題言えた時代だっただろうと思う

私たちのように、リクルートスーツで何十社も駆けずり回ってぺこぺこしたこともない。婚活で知らない異性と毎週お茶をし、奢るどころかろくに話しもしない男性におべっかを使ったりしたこともないだろう。おそらく、私と母の世代は圧倒的に分かり合えないと思っている。

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そんなことからか、顔を合わせるたびに激しい喧嘩をすることが増え、同居している父からはたびたび苦言を呈され、私は実家を出た。今では、週末に時折り戻り、しょうもない話などをする。仲が良いとまでは言わないが、喧嘩をすることは減った。そのくらいの距離感が本当にちょうど良いのだと思う。

振り返って思うのは、当時私が母にぶつけていたのは、母への怒りだけではなく、昨今女性に対して膨大に増えたように感じる要求への違和感でもあったのだと思う。

女性なのだから男性より家事能力が高くて当たり前。けれども仕事は男性と同等にすべきである。ただし偉そうな物言いは疎まれるので、細やかな気遣いと優しい笑顔で包容力が求められる。残業続きでも身綺麗にしていなければならない。仕事をしながら一定の年齢で結婚し子どもを生まなければ一人前の女ではない。

いまの社会で一人前の女になるには、私の家庭でいう、「父」であり「母」でなければならない。

かくいう私は妊娠しにくい体質でもある。子どもをもつとしたら、仕事を続けながら不妊治療をしてやっとこさ子どもを作るのかと考えると、正直ぞっとしてしまう自分がいる。かと言って、同期や後輩が育休や時短などで家庭を優先させるなか、「子どもがいない」というだけで、嫁のいる男のごとく人生を懸けて働くことを要求されることを想像すると、それはまた精神的にかなり堪えるものがある。

一人前の女にはなれない、でも男にもなれない。そんな葛藤があり、恵まれた時代を生きてきた母に苛立ちを覚えるようになったのだと思う。

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けれども、母から言われたことがある。

「昔は、女はクリスマスケーキだったのよ。25過ぎて会社にいたら残り物なの」

30代まで仕事を続け、高齢出産だった母も、きっと私の知らないような陰口を叩かれることもあったのではないかと、今なら思う。

だから、世代や性別で線引きをしてその違いをとがめるのではなく、もう少し緩い思いで人を見たい。今年の母の日はだからこそ、「違う」からこそ、そんな優しい思いを贈りたい。