私にとって母は、生物の諸行無常を意識させる存在だ。
私の母は高齢出産をした。
35歳で私を産み、私に自我が芽生えた頃にはすでに40代になっていた。
小さな頃は、授業参観に母が来るのがいやでしょうがなかった。教室のうしろにずらりと並ぶ若くて綺麗なお母さんたちの中で、自分の母はいつもすこしくたびれてみえた。
そんな母をクラスメイトに見られることが恥ずかしいと思っていた私は、とにかく授業参観に来ないでほしいと理由を告げずに母に懇願した。
「どうして私をもっと早く産んでくれなかったの!」と母に文句を言ったこともあった。出産のタイミングが違えば、自分は生まれていなかったということを知りもしない小学生の私は、若くて綺麗なお母さんがどうしても欲しかった。
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中学生になると、私の母より年上のお母さんを持つ同級生に出会った。
なんだ世の中には高齢出産の人が他にもいるのか!と分かり安心したものだ。しかも大抵高齢出産した家庭の方が、家計に余裕があり、子どもはのびのびとしている。もしかして母はある程度お金が貯まるまで待って出産を決意したのかなと考えるようになった。
子どものためを思っての高齢出産だとしたら、母は良い選択をしてくれたなぁと14歳の私は勝手に納得していた。
大学生になると、母が日々老化していくのが分かった。髪の毛が薄くなったり、瞼が垂れ下がってきたり、目に見える大きな変化があった。このころから、自分が大人になった分だけ、母も着実に老いていくことを意識しないではいられなくなった。
また30代のお母さんを持つ友人と出会ったことで、小学生以来の「若いお母さんが欲しい」症候群が再発した。この子は自分が50代になってもお母さんがまだ70代なんだ。いいな〜いつまでもお母さんがいてくれて、とたまに1人ボヤいていた。
社会人になると、祖母が死んだ。
祖母を前に、「お母ちゃん」と泣く白髪の生えた母を見て、死の順番待ちの列がひとつ進んだと思った。火葬された祖母の骨壷に入りきらなかった熱々の骨を見て、これは生ゴミとしてゴミ処理場に持って行かれてしまうんだろうかと考えた。
博物館に展示されている骸骨と同じになった祖母の身体は散り散りになった。
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人生にはタイムリミットがあって、最後はもれなく全員この世から退場させられる。
分かっているのに会社に行ったり、買い物をしたりしていると自分がいつまでも若くて不死の存在のように思える。ふしぎだ。
とくにおひとりさまの多いこの時代、自分がおばさんへの道を着々と歩んでいることになかなか気づけないのである。日々死への待ち時間は短くなっているのにだ。
だけどそんな幻想を母は打ち砕き、永遠なんてないんだぞと私に教える。
私たちは言葉を使って社会生活を送っているが、あくまでも生物なんだ。いつまでも生きながらえるロボットじゃない。
老いていく母は、常に私に生物としての己を意識させるのである。いやというほどに。