私の思い出の味はキャッサバだ。大雑把に言うと、外国の芋だ。とは言っても、そもそも、海外の食事はあまり好きではない。スパイスだったり食材の違いだったりで、食べ馴染みがないから、なかなか食が進まないのだ。
17歳の時、フィジーという南太平洋の島国に1年間住んでいた。謎のスパイス煮込みや、小麦粉と砂糖を油で揚げたもの、毎日食前に食べさせられるガサガサのクラッカー。 1年のうちにフィジー料理に慣れたものの、それまでは相当苦労した。
そんな中でも、唯一、初めから美味しさに気づけたのが、冒頭で書いたキャッサバだった。タピオカの原料になる芋だ。味は甘くないサツマイモといった感じで、出る度にがっついて食べていたからか、1年間で10キロ太った。
だが、このキャッサバ、フィジーに居た他の日本人留学生達にはめちゃくちゃ不人気だった。「ゆなちゃん、あれ毎日食べてるの?辛くない?」なんて言われたこともあった。
ただの好みの問題かと思っていたのだが、どうやら、キャッサバが好物なのには、ちゃんとした理由があったらしい。
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2ヶ月前、18年ぶりにインドネシアに行った時のこと。私の父親はインドネシア人で、母親は元バックパッカー、この旅行は、ずっと疎遠だった親戚達に会うためのものだった。カタカナと海外の地名ばかりで申し訳ないのだが、不思議なことに、海外のご飯に毎回拒絶反応を示してきた私が、インドネシアのご飯だけは心底美味しく食べることが出来た。
聞けば、私は10ヶ月、2歳、4歳の時に、1ヶ月間〜3ヶ月間、インドネシアに滞在する、というのを繰り返していたらしい。インドネシア料理なんて何も覚えておらず、出てくる料理の味の想像もつかなかったが、生春巻きにも、トムヤムクンにも感じていた異国感を、インドネシア料理には全く感じなかった。
食べる度に、「この味知ってる!」という感動があった。子供の頃の味の記憶が、23歳になった今でも残っているものなのか非常に怪しいが、未知であるはずのインドネシア料理が食べ馴染みのある味だったことは、私にとってかなりの驚きだった。
旅行中、親戚たちが、私の子供の頃の写真を見せてくれたりもした。見たことのない南国の地で、インドネシア人に混ざって遊んでいる自分の写真を見るのは、相当に面白いものだった。知らない自分すぎる。
よくよく見ると、離乳食に見覚えがある。「あれ。これ、キャッサバじゃない?」親戚に聞くと、私は子供の頃、よくキャッサバを食べさせられていたらしい。
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なるほどそういうことか!と、この時ようやく、フィジー時代の伏線回収が出来たのだ。子供時代に食べ慣れてたから、キャッサバはあんなに食べやすかったんだ。味の記憶はとんでもなく長く残るものなんだと強く確信した。
調べてみると、味は知覚の中で1番長く残るんだとか。インドネシア料理を「食べたことがある!」と思ったのも、本当に覚えていたからこそなんだろう。
そしてどうやら、食事が美味しいかどうかは、子供の頃から食べ慣れているかどうかに多分に影響されるらしい。
美味しいご飯イコール、食べ慣れた食事のことなのだ。
私が不味いと思っていた多数の海外飯も、現地の人からすれば美味しい地元ご飯なのだ。味1つとっても、美味しさより食べ馴染みを優先してしまう節がある人間。国際理解とか、グローバルとか、多文化共生とか、味すら公平に判断できないんだもの、そりゃあなかなか解決しないよな、なんて、難しいことにまで考えが及んだ。
人間誰しもに、故郷があり、故郷の味がある。さすがに、海外のご飯を「不味い」と一括りにしていた失礼さを反省しようと思った。多分、異国ご飯の数をこなしていなかっただけ。
慣れてしまえば、案外なんでも美味しくなって、いつの間にか思い出の味になるんだろうから。