街中でよく見る、黒い正方形のバックを背負っている自転車。
あの、某デリバリーサービスの配達員をしたことがある。

アシスタント業を言い換えれば雑用係。どんどん心がすり減っていく

未曾有の感染症が世の中を覆った年、私は東京のオフィス街のど真ん中のOLだった。
精一杯背伸びをしてオフィスカジュアルの服を着こなしたり、キラキラOLに擬態しようと、あれこれ思索していた。

業務内容はアシスタント業だったけど、悪い言い方をすると雑用係でしかなかった。
笑ってしまうけど、お茶汲みもした。
アシスタント業の困ることは、功績は全部上司の手柄、ミスは全部私の責任になることだ。
一日中ペコペコしていると、私ってなんなんだろうと、どんどん心がすり減っていくのを感じた。
仕事をするには怒られる人も必要なんだろうと学んだ。

感染症予防のための会社指定の休日が増えたタイミングで、休日に配達員を始めることにした。
最初は、あの黒い正方形のバッグがかっこよくて、街中を流して走る自由な働き方に憧れた、というミーハーな動機だった。
ダイエットにもなるのに、お金も稼げる!一石二鳥とはこのこと。私は慣れないアプリにしどろもどろしながら登録をこなした。

同輩とすれ違いざまに軽く挨拶。気持ちを共有できたようで嬉しい

はじめて受けた注文は、駅前の中華料理屋さんの餃子を、駅からバスで10分くらいの距離にある一軒家に届けるという任務。
中華料理屋さんの「おねがいします」と言われて渡されたほかほかの餃子を、斜めにならないように立方体のバッグに入れて、隙間を保温シートで埋める。
向かう途中には大きな下り坂があって、なるほどこの道を通るのが億劫だから出前を頼んだのかと納得する。

自転車でピューッと下っていると、道路を挟んで向こう側に同じバッグを背負った自転車乗りの姿が見える。目が合うと、向こうが軽く手を上げた。
登山ですれ違う人に挨拶をするように、出前配達員にも挨拶の習慣があるらしい。私もすれ違う同輩と気持ちを共有できたようで嬉しい。
下り坂を抜けると、自分が行ったことがない大きな一軒家が立ち並ぶ住宅街が見えてきた。そのうちの一軒の家のまえに餃子を置き、インターホンを鳴らして、業務完了(置き配注文の際は、置いた後にインターホンを鳴らすよう規定があるのだ)。

私が500円で運んだ餃子が、「疲れたな」という誰かの胃袋を癒す

すぐにアプリに500円の給与が表示される。
荷物をA地点からB地点に運ぶだけの簡単なお仕事だが、この仕事は他でもない私による、私の功績だった。
毎日のオフィスワークでは月々の基本給が決まっているから、業務が終わっていても業務終了時刻まで時計をチラチラみながらデスクに座っている。
学生時代の喫茶店のアルバイトは、どれだけ忙しくても暇でも、1時間あたりの給料は一律980円だった。デリバリー配達員の給与形態は、一回の配達料と距離に応じた追加料金というものなので、こちらが効率よく配達したらその分時給が上がる。

いつもの「私は仕事の役に立っているんだろうか」という罪悪感から解放され、「人の夕飯の役に立った!」という達成感を得ることができた。
私が運んだ餃子が、誰かの「ああ、疲れたな」という日の胃袋を癒す500円。お金って、労働の対価としてもらえることを思い出した。
この500円は自分の労働の対価の数字としてリアルで、とてもとても愛おしく感じた。