人はどれだけ長くウソをつき続けることができるのだろうか?

ウソにも色々ある。
みんなに馴染むため、ちょっと見栄を張りたくなった時、相手を傷つけたくないからなどなど挙げればキリがない。

でも、こうも言われる。「ウソをつくことは悪いことだ」と。

特に小さい時からそう言われると、真面目な人は一言ウソをつけば罪悪感を抱いてしまうのかもしれない。

ましてや小さいウソは初めは気がつかないけど、重ねるうちにそれに縛られ、その重みに耐えられなくなる。

あるいはそう思ってなくても、小さいウソを何回も言うことで、だんだん本当のことのように思えてしまう。

まるで一種の呪いである。
それは例え自分を守るためだったとしても、だ…。

私はいつかそんな呪いから抜け出したいと願う人間の一人である。

◎          ◎ 

私のつくウソは社会に同化するためのもの。
パートナーの存在を隠す、あるいはパートナーの性別を偽る、そんなウソだ。

恋愛のこと以外なら基本的には正直なのに、パートナーのことになると歯切れは悪い笑

それでも最初はそこまで深刻には考えていなかった。
人生のちょっとした一部、パートナーのことについて、小さいウソをつけば良いだけ。

結婚なんてわからない。
20代の前半までは勉学や仕事と、パートナーと過ごす日々が楽しければ良かった。

でも、成長するにつれて色々なものに影響が出てくる。

結婚を前提にしたお付き合い、結婚、子供を持ちたい願望があるか無いか、出産などなど。
周りの子たちは、人生のイベントを次々迎えていく。

彼らは彼らで、そうしたイベントに幸せを感じることができるのは良いことだし、横で見ていて、思わず感動して涙を流したこともたくさんある。

それでも、そうしたイベントに立ち会うのはなんだか苦しい。

それは何も知らない幸せの絶頂期の無邪気な顔で、
「あなたの彼氏はいつできる?そんな予定ないの?」と聞かれることがあるからだ。
(私がパートナーのことを話していないから、当たり前の言葉ではあるのだけど…)

こうした言葉を投げかけられると、笑顔の裏で「あなたが思うような人生ではないから」とどこかで冷めたような目をしている私がいる。

「あー、こんなふうにはならないよ私…」なんて思うことも。

そしてまた何事もなかったようにつく小さいウソ。

「まだかな〜。そもそも相手できるかもわからないし笑」

それでも小さいウソは、私を少しずつ蝕んでいく。

私たちの存在が社会には無いことになってる。
自分自身の思い描いているパートナーとの理想の未来まで無くなる。

小さいウソを積み重ねることで、そんな苦い気持ちが広がって行くような気がした。

◎          ◎ 

ちなみに今のパートナーとは大学生になって、初めて出会った。

始めは友達として出会って、なんだかんだ色々乗り越えてきた。
最近は「多分私はこの人とずっと一緒なんだろうな〜」と思っている。

相手に対する個人的な感想は、めちゃくちゃ美人で家事も仕事もできて、それでいてちょっと抜けてる。

「うーん、なんでこんな絶妙なバランス感なんだろうか笑」って、思ってしまうくらい素敵な人だ笑

私たちの間では性別なんて問題なく、一人の人間として付き合っている、一緒にいるという認識である。

だからこそ、「普通」と言われる結婚や家族、出産に対する一部の認識は、嫌でも女性性を押し付けられているようで、なんだか違和感がある。

もちろん、彼女が男性だったら間違いなくみんなに自慢してるし、パートナーについてウソなんてつかないけど。

◎          ◎ 

一度、社会的なマイノリティだと自覚すると、何か詮索されるのが面倒だし、
話し相手の気持ちをいちいち考えるのも疲れてしまう。

「あ、これは私のことを受け入れられない人かも…」

だから少し話してこう感じただけで、ウソをつく前のスッとしてしまう顔になるのももう慣れてしまった。

それでも私はその呪いから抜け出したい。ウソの呪いに引きずられたくない。
一度しかない人生なら、誰に何を言われても好きなように生きてみたい。

小さいウソを10年近くつき続けて、やっと分かった本心である。

だから私は宣言する。
30歳を節目に、「私とパートナーの関係について社会にウソをつかない」と。

本当の私を知って離れて行く人がいても、それはそれ。

なんなら、長く溜め込んだ呪いが解けてスッキリすることの方が幸せなのかもしれない。
最近はそう思うようになった。

そんな密かな野望を胸に、今日も社会で小さいウソをつく。