その人にとっての小さいウソが何かというところにその人の価値観が出ると思う。
小さい大きいが人によって変わるものだから。
私の「小さい」は隣の人の「大きい」かもしれない。
その前提で、私からしたら大したことのないウソの話をしよう。
もっともウソのつきやすい分野なんじゃないかなと思う。
そう、性、夜の営みについて。
◎ ◎
女性がイクとはどういう感覚なのか私はずっと分からなかった。
また、イクことに関する悩みは、「セックスでイケない」や「そもそもイク感覚がわからない」など何と向き合えばいいかさえ分からなかった。
とあるきっかけがあって、今はその感覚が分かるようになった。
でもそれまでおつきあいした彼には、「イッた」ふりをしていた。そう、演技。
いつからそうし始めたのかは分からない。
ただなんとなく、「イク=気持ちいい証、ゴール」のように刷り込まれていた。
「こうあるべき」に性においても、囚われていたのだった。
そこまで深く悩んだことはまるでなかった。とあるきっかけがあるまでは。
セックス自体はすごく気持ちよくて、もう大満足。
それでも男性の中にはイカセナイトと思う人もいる。
それができないと自信を無くしてしまうかのように。
ものすごくそれがストレスでプレッシャーだったのだと今は思う。
だから、空気を読んで、タイミング良い頃に終わらせたくて、「イッた」ことにするようになったのだと思う。数年間それに慣れ、彼氏が変わっても演技は続けた。
◎ ◎
でもワンナイトした人に、その演技を指摘された。
どうやらその人には相手がイッているのかが、体で分かるらしい。
行為を終えた後、
「イッたのはウソでしょ」
「オーバーにしなくていいんだよ」
「そのままでいいのに」
「気を遣いすぎてない?大丈夫?」
「本当の〇〇ちゃんが分からない……」
と言われた。
今まで頑張ってきたことを否定されたような気がして、深く傷ついたと同時に、緊張ではっていた心の糸がプツンと切れた気がした。
その人とはそれっきりで終わったけれど、その人とのワンナイトがきっかけで、その後おつきあいを始めた人から演技することをやめた。
自然体でいい。性においても本当の自分で付き合えるようになった節目。
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彼には今までは演技をしていたことも正直に伝えられた。
演技をするという大したことのないウソが、私のパートナーシップを大きく変えてくれた。
何においても誠実に、そのままの自分でいていい。
大したことのないウソは、分かる人には分かるウソなのだとも思う。
ウソのままお互い暗黙の了解で付き合うのも一つだろう。
でも私はそれはどこか窮屈だったんだと思う。
演技のない性生活はどこまでも気持ちいいもので、心がこんなに満たされるものだとは知らなかった。