平成生まれの私がまだ平安時代の人間と同じことを考えているのが悔しいが、やっぱり夏は夜だと思う。人は夏というだけでフェスを開催したり、暑いというだけでリポーターを中継に出したりする。今すぐに水遊びをしたい子供の腕に母親が急いでウォータープルーフの日焼け止めを塗ったり、今が踏ん張り時の営業マンが玉のような大量の汗を首元をパタパタするだけでどうにかしようとしていたりする。大学生の男女4人は今日はプールに明日は海に行く。夏は夏なだけでみんな忙しいし騒がしい。

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だけどそれらが全部嘘のように夏という季節すらなかったかのように静かになる夜がある。地球に恨みでもあるかのような太陽からの強い日差しを一に受けたアスファルトが音もなく冷えていく夜がある。それは大体都会から5、6駅離れたところにあって大通りから本ずれたところにある夜である。夏はこの夜の中をふらふらと散歩をしたい。

さらには夕方と夜との境目はできるだけ見たくない。バンドのギターが舞台上でチューニングをするのを見て、裏でやってから来いと思うのと同じ。餃子を蒸している途中で蓋を開けてはいけないのとほとんど同じ。準備中の夜は見ないほうがいい。昼間に友達と海に行って塩辛い手で海の家の高いのに小さいフランクフルトを食べる。そして帰りに騒がしい居酒屋に寄ってまだちゃんと酔う前に店を出る。するとさっきまで昼だった町に今や嘘みたいな夜が広がっている。今ごろ今日の海は真っ黒で月の光も工場の光も反射していないだろう。

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夜はどの時間軸とも繋がっていなくて、明日はユニバに行くなんて信じられない。友達とはせっかくの大きい脳みそをほとんど使わずに会話をしていて大体ここかなというところで笑ってみたりする。次の日になって思いだす今日は海での思い出ばかりで夜はなかったかのようにあまり思い出せない。私はこの時間が夜に溶けていく感覚がとても好きだ。

もちろんこのお散歩は一人でもいいし友達とでもいいが、恋人とならもっといい。終電はとっくの昔に終わっていて、だから歩いて帰るしかない。彼は仕方なくダサい自転車を押しながら私を家まで送ってくれる。本当は一緒に歩いて帰るために終電を逃したことも、終電を逃すために待ち合わせ時間を少し遅らせたことも彼は気づかないふりをしてくれている。

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自転車に一番車道側を歩かせながら、「面白くない大学生が言いそうなことしりとり」をする。首相も裁判長も国会議員もきっといい寝具で寝ているのだから悪口だって嘘だって言っていい。今なら三権は全て私たちにある。だから「ん」がついていなくても知らん顔でしりとりを終わらせられる。この世のものは全て光源からの光を反射するから目に見えている。だから私は夜の唯一の光である月に感謝しながら彼の顔を、長いまつ毛を、筋張った手をこっそり見るのだ。彼はそんな私にまた気づかないふりをしてダサい自転車を押している。

これが私の理想の夏である。あと普通に夜は涼しいからいい。