大学進学を機に実家を出て、10年目。
実家から駅への送り迎えをしてくれるのはいつも父。
車の中何を話したらいいのかわからなくて、寝たふりをしてしまったりする。
父は、私にすごく気を遣いながら、話しかけてくれる。
それでも、私は寝たふりをし続けてしまったりする。
でも、たぶん、私は相当なファザコンだ。

仕事が忙しい日々でも、私のお願いや送り迎えをしてくれる父

当時のサラリーマンは、雑用は若手がすることみたいなイメージがあった、
でも誰がやってもいい事のために土日も働く管理職だった父。
父を仕事で知る人は、みんな父を褒めてくれる。それがとても誇らしかった。

人の役に立つのが大好きで、きっちりした性格の父。
着たいけどしわになっている洋服、就活中面接の日に履いていく靴、壊れてしまったアクセサリー、明日使いたい、と伝えると朝にはぴかぴかの状態に用意してくれてたね。
料理なんてできないのに、私の一人暮らしが長くなって料理を出来るようになっても、帰省中お母さんがいない日は、どうにか用意してくれようとするよね。
甘やかされてたな~、甘やかされてるな~と今では思っています。

小学生のときから、いつも何かにのめりこんでいて、6時台に家をでて、22時23時に帰ってくる毎日だった私。
家から駅までは車で送ってもらわないといけない距離だったから、毎日私が出たいと言った時間にあわせて起きて、帰りも待っててくれて、送り迎えしてくれてたね。
自分が働き始めてみて、仕事の前後にそんなことをするの、私にはできない……と思っています。
お姉ちゃんと、こんないい人はいない、理想が高まって困る、って昔から言ってたよ。

一番感謝しているのは、今も私を支えるあの時ぽろっとくれた言葉

でも、実は、父に一番感謝しているのは、これまで述べたどれでもない。
父は覚えてないかもしれないけど、送り迎えの車の中でぽろっとくれた二つの言葉に、私はこれまでも、きっとこれからも、ずっと支えられている。

勉強も、運動も、絵も、習字も、歌も、なんでも出来たけど、どれも学校で一番にはなれなくて、受験を控える頃になると、私はどれもまあまあで、なんの才能もないのかもしれない、って、そのときは真剣に思ってた。

そういう弱音をあまり人に言えない方だったから、それを父に明確に伝えたわけではない気がするけど、
「どんなことも、トップ層、と言われるところまで、自分で努力できる、それはすごい才能だよ」
って言ってくれたね。

もらった言葉を、努力しないと自分じゃない、と感じてしまって、自分の首を絞めた時期もあったけど、やっぱり努力できている自分は好き、と思えるので、自分のことを好きでいられるくらいに頑張る、という塩梅も覚えてきたよ。

小学校の途中まで徒競争はいつもビリで、跳び箱も一段も飛べなくて、家でこっそりずっと練習してた時、いつも付き合ってくれてたね。
小学生の頃から絵も習字も納得いくまで、日付が変わってもかきつづけてたの、ずっと横について何を言うわけでもなく、一緒に見ててくれたね。

これまでの人生経験全部をよかったと思えるのは、父のおかげ

高校受験を控えて志望校が二つあって、前期試験を終えた後もどうしても選びきれなくて、やっぱり前期受けた高校じゃない方がよかったかも…、でももう受けちゃったし、どうしよう……って。でも周りはもう志望校に向かって受かりたい!って走ってて、友達に相談なんてできなくて、一人でもんもんしてた時、
「どんなことも、人生は自分が選んだ道しか経験できないんだよ。もう一方に行ってたらどうなってたか、は絶対にわからない。だから、こっちがよかった、と思えるように自分が行動するしかないんだよ」
って言ってくれたね。

歳を少しずつ重ねて、大学受験や、就活、就職後の配属、異動。
自分の意志、努力だけで道を選べないことがたくさんあることも、どちらかしか選べない経験もそれなりに経験してきたけど、道を選ぶ時だけじゃなく、目指した道に進めなかった時も、自分が進むことになった道を歩む人生でよかった、と思えるように自分が行動すること。

これは、自分の人生をしあわせにする、万能の方法だな、と思っています。
これでもか!ってほど努力したけど、手に入らなかったこと、悔しかったこと、挫折、これまでたくさんあったけど、
それでも私がこれまでの人生の全部の経験をっひっくるめて、この人生でよかった!って思えているのは、中学生のときにお父さんがくれた言葉のおかげです。

思春期からずっと好きだったけど、今も何を話せばいいのかわからない

私は小さい頃から、ずっと何かに熱中していて、朝早く出て、夜中まで帰ってこない生活。
毎日送り迎えしてくれてるのに、疲れすぎて、車に乗った瞬間爆睡。
気が付けば最後にゆっくり話したのは中学生のころかもしれない。
ちゃんと話せてた期間は人生の半分以下の時間になってしまおうとしている。

だから、思春期だってずっとお父さんのことは好きだったし、最近は余裕も出来て、帰省の頻度も増えたけど、何話せばいいのかわからない。

ちょっと淋しいけど、こんなもんかな~って諦めてきてたけど、この前、結婚します、と帰省した時、彼に「安心しました」と笑いながら言った声がちょっと震えてたこと、目が潤んでたこと、きづいちゃったよ。

就職も転職も結婚も、海外に行くときも、いつも決定事項の事後報告で相談なんてしないし、体調崩してもケガしても言わないし、甘えないし、きっといっぱい心配してくれてたんだよね。

ありがとう。
私は、あなたがくれた言葉のおかげで、自分のこと、自分が歩んできた人生を愛せています。
なんて、本人には言えないので、ここで。
いつか、少しずつでも伝えられたらいいな。