「あの子は、ありがとうが言えない」

義母の、この嘆きを聞くのは何度目だろう。あの子とは、夫の弟の奥さん、つまり義妹のことなのだが、彼女は物をもらっても何か手伝ってもらっても、一切お礼を言わないらしい。

義母は、彼女を無愛想で居丈高だと思っているようだが、私の印象はまた別だ。彼女は子どもの頃、いじめられていたようだ。人付き合いで成功体験がないから、人の好意を信じて受け取ることが出来ない。極度の照れ屋で、素直に自分の気持ちを表せない。お礼を言った方がいいだろうか、いや、私のような人間にお礼を言われて相手は嬉しいだろうか、と躊躇しているうちに、その機会を逃してしまう。要は不器用すぎるのだ。

義母は、義妹のことを礼儀知らずで何も考えてない子のように言うが、義妹は人一倍考えている。考えすぎるほど考えてしたことが、裏目に出てしまっているだけなのだ。相手に誤解されて損だと思うが、彼女には誤解を解こうという発想はないらしい。

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私自身にも似た経験がある。朝、学校の教室入っていくとき、どうやって入ったらいいか分からなかった。いじめられていたので、あいさつしても無視されるだろう。もし、私にあいさつを返してくれるような子がいたとして、いじめられっ子に優しくしたら、今度はその子がいじめられる……。

教室では先に来た子たちですでに話が盛り上がっている。溶け込む努力をするくらいなら、自分の存在を消してしまう方が楽だったので、コソ泥のようにひそひそと席についていた。

働くようになり、職場でのあいさつにも悩んだ。朝は先に仕事に取りかかっている人もいるし、帰りもまだ残っている人もいる。そんなときにあいさつしたら、邪魔になるだけではないだろうか。そういう逡巡から、あいさつするのを遠慮していたこともあった。

そのことである時、注意された。「幽霊みたいに気配を消して、急にそこに居ないでよ」、「帰りがけ、あなたに用があったのに、急に消えていたからびっくりしたわ」と。それでようやく私は、あいさつは社会人の基本中の基本だと気づいたのである。

もちろん職場で、相手が取り込んでいたりしたときは、あいさつしても返事がないこともある。それは、状況的に仕方のないことだ。あまり深く考えず、とりあえずあいさつをする。それほど仲良くない人でも、あいさつだけはしておくことが大事。あいさつは先手必勝だという処世術も、自分のなかで生まれた。

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ところで今、私は新興住宅街に住んでいて、近所は知らない人が多い。こういうとき、あいさつはどうすればいいだろうか。私は田舎の出で、子どもの頃、近所は顔見知りばかりだった。当然、あいさつを交わすことになる。

けれど、都市生活では他人には無関心を装うこともマナーになる場合があるので、本当に難しい。私は目が合ったら軽く会釈するくらいにとどめている。登校中のお子さんに、あいさつしようとしてふと迷う。最近の子たちは、知らない人に話しかけてはいけないと習っているのではないだろうか。見ず知らずの人にいきなり声をかけられたらどうだろう。

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この点について、帰国子女の知人は、「日本は本当に妙な国」だと言う。彼女は日本人離れしたビッグスマイルで快活なあいさつをする人だが、海外で暮らしていたとき、両親からしつこいくらいこう言い聞かされていたという。

「近所で人に会ったら、大げさなくらいの笑顔を作り、愛想よく大きな声であいさつしなさい」と。それは、異国人である彼女が、相手に敵意を持っていないことの表明であり、しいては自分の身を守ることにつながるからだと。

あいさつは相手のためにするのではなく、自分のためにするものかもしれない。