思い出したくもない暗い時間の記憶のなかにも、光がないわけではなかった。忘れたくない思い出もあるし、出会えてよかった人がいる。すべての記憶に蓋をするのはもったいないから、少しだけ開けておくことにしている。自分の精神状態によって、思い出される記憶の光と影の割合は変化する。

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人への期待と大人を信頼するのをやめた学童期。担任してもらった先生のうち、ひとりだけ信頼できる人がいた。その人はわたしにとって間違っていることを間違っていると教えてくれる人で、正しいことは肯定してくれる人だった。そして明るくて、怒ると怖い人だった。

その人はある理由で学校を離れることとなった。なにか問題があったわけではなく、とてもおめでたいことで。わたしは別れが苦手で、幼稚園の先生とのお別れは悲しかった記憶があるが、この時そこまで悲しんだのかは記憶があいまいだ。

きっとその時は、その人がどれだけ自分にとって大切だったか理解できていなかったのだと思う。

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学年が上がっていくにつれ、あの人が担任だったらなと毎年思うようになっていた。しかしそんなことは起こることもなく卒業した。在学中、一度会えたけれど、卒業するころにはほとんど関わりはなくなっていた。

進学すると、通学路が変わり、自転車通学になった。過ごす地域が広がったことから、出会う人も変化する。自転車に乗っていることや、急いでいることもあって、歩いている人や、通学を見守ってくれている人と、ゆっくり挨拶を交わすことはほぼない。知っている人でもないから、話しかけられるわけでもない。そう思っていた。

ある日突然、「おはよう」と大きな声でわたしに向けていう人がいた。聞きなれた声。

「元気?」「はい!」
「気を付けてね」「はい!」

それくらいの会話だった。

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それでも、驚きと嬉しさと焦りで感情はぐちゃぐちゃになった。そして、なぜわたしの中であの人が大切だったか思い返すきっかけとなった。間違っていることを間違っていると教えてくれた人で、正しいことは肯定してくれる人だったからだ。

当たり前のようで難しい。年齢を重ねていくたびに、それがどれだけ労力を使うことなのか、ありがたいことだったのかを理解できるようになった。理不尽に怒られることや、正しさを覆されることを経験したわたしにとって、あの人にもらった

「間違っていない、やりかえせ」

という言葉がどれだけ道標になっていたかわからない。

肯定してもらったことと、間違いを間違いと教えてもらえたことで、貫くこと、柔軟でいること、認めること、どれも大切であると知った。

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その日以降あの人に会えてはいない。それでもあの日のあいさつのおかげで、わたしは今、進めているのだと思う。いつかわたしもだれかの道標になれる日がくるのだろうか。

大それたことを成し遂げようとは思わない。間違いを間違いと言える人に、正しさは肯定できるように、そして、そのどちらにも人それぞれの正解があることを理解し寄り添いながら生きていきたい。