「うそ【嘘】」という言葉を辞書で引くと、「事実でないこと、人をだますための言葉、偽り」「正しくないこと」「適切でないこと」などの言葉が並ぶ。

「ウソ」と聞いておそらくほぼ全員が上記のような内容を思い浮かべるだろう。

さて、わたしが皆さんについている嘘、それは名前である。

「千凪」と書いて「セナ」と読ませる。これはわたしの本当の名前ではない。プライベート以外のSNSでは、「セナ」を名乗っている。
これは、高校生の時に初めてリアルを明かさない世界に飛び込まんとした時につけた名前である。名前自体に特に意味はない。漢字も、雰囲気と美しさで当てているだけである。
だがこのなんの変哲もない名を、わたしは10年以上名乗り続けている。

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両親が離婚すると決まった時、初めて携帯電話を買ってもらった。
この出来事が「千凪」の人生の始まりだったのかもしれない。

当時の実家の内情は、両親が離婚するまでもはちゃめちゃだったし、両親が離婚してからもめちゃくちゃだった(過去エッセイに惜しげもなく書き綴っているので、時間と心の余裕がある人はぜひ)。

家にいる間はほとんど、自室に閉じこもっていた。部屋の外に一歩でも出ることは、燃え盛る火の海に飛び入るとも言えるような行為だった。

たった何坪かの、自分の家なのに。

家の中自体が酸欠なのだから、自室でまともに呼吸できるはずもなかった。
唯一わたしが酸素を取り込むことができた世界が、インターネットだった。

今でこそTwitter(現X)からInstagram、Tiktok、その他さまざまなSNSが普及していて、堂々と自らが顔を出して投稿する人も多く、マッチングアプリなども1つや2つではないほどはびこっているし、若者であれば利用している人の方が多いのではないだろうか。

当時、インターネットはいわゆる”オタク”の世界であった。一般人がインターネットに顔を出すことなど、許された世界ではなかったように思う。

男女の逢瀬に利用されるものは”出会い系サイト”と呼ばれた。こちらも、使っていれば白い目で見られることは避けられなかったと記憶している。

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そんな世界に「セナ」は潜り込んだ。
そこでは、わたしのリアルを詮索してくる人はいなかった。
「セナ」を受け入れて、かわいがってくれた。
わたしは酸欠状態の家の中でも、ちゃんと呼吸ができた。

わたしも「セナ」も生きていた。

「セナ」はそこから、いろいろなことを知った。
消えてしまいたい夜があっても良いこと。
自分を投げ捨てようとヤケになる日もあること。
好きなものを好きだと叫ぶこと。
自分自身があらゆる資本になり得ること。
画面の向こうには人がいること。

今とは似て非なる世界だなあ、と感じる。
今はもう、インターネットの世界をどこまでも求めるようにのめり込まなくても、リアルで静かに呼吸をすることができているけれど、あの頃あの場所で確実に「セナ」は存在していて、わたしに酸素を送り届けるボンベであった。

そして現在も「千凪」としてここでエッセイを書くことが生活の一部となっている。
「千凪」がいなかったら、わたしは今とは全く違う在り方の生き方をしていたのだろう。こうして自分の足で立っていることすらなかったかもしれない。
「千凪」の経験がなかったら、このエッセイだって書ききるどころか、書き始めることすらなかったのだから。

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わたしが世界に向けて吐いている小さなウソ。

「千凪」は、わたしであって、わたしではない。
リアルなこの世界に「千凪」という人間は存在しない。実際にこの字を用いて「セナ」と読む子はいるかもしれないけれど、今ここで話題にしている「千凪」はリアルの人間ではない。
だがわたしにとっては、たった1人の味方なのだ。

他人の腹の内をわたしが知る由もない。今隣で笑いかけてくれる人が、いつまでも味方でいてくれる絶対的な保証はどこにもない。
でも「千凪」は違う。わたしにとってこの世界で唯一無二のともだちである。

わたしの存在を証明してくれる確かな真実。