私にはお別れも言えずに別れてしまった家族がいる。
父だ。
私が大学生時代、地元を離れ、一人暮らしをしている間、父と母は離婚した。
父と言っても、彼は母親の再婚相手で私とは血の繋がりがない。
父と母は私が小学校3年生の頃再婚し、そして大学3年生の頃、離婚した。

自己中心的な父と良い思い出はなく、何回も家出してやろうと思った

父との思い出は、正直良いものはない。
父は自己中心的な人だったし、自分の趣味に無理やり子供を付き合わせる。やりたくない、行きたくないと拒否しても泣いてでも連れてゆく。学歴至上主義で、テストの点数が悪ければ頭ごなしに怒る。食事の味付けなどに細かく文句を言う。冗談が通じず、話をしても面白くないため、会話をしたくない。
そんな父のいる家から何回も何回も家出してやろうと思った。
本当の父親でもないのになんでこんなつらい思いをしないといけないのだろう。
母に、「どうしてあんな人と結婚したの?」と恨み言を言ったりもした。
優しくて子供と対等にいろんなことをしてくれたり、子供のありのままを肯定してくれる。友人の父親が羨ましくて仕方がなかった。
父がいるから家にいるのが嫌で、休みの日はあえて部活や友人と会う予定を入れ、極力家にいないようにする。
そんな幼少期だった。
一人暮らしを始めてからも、父のいる家に帰るのが嫌で、年末年始やお盆はあえてアルバイトを入れるなど実家を避けていた。
だから、大学3年の頃、母から父と離婚しても良いかと聞かれたとき、二つ返事で快諾した。
大学2年の春に帰省してからまもなく6年が経つ今日まで、私は父と会っていない。私の知らない間に離婚協議が進み、財産分与や年金分割が決まり、母が弟とともに荷物をまとめて出ていっていた。

大人の苦しみを知る今、血の繋がりがない私も養った父の存在を感じる

そんな、6年も会っていない父の存在を感じるようになったのは、最近になってからだ。
働きだしてもうすぐ5年が経とうとしており、社会経験も増し、職責も増え、社会の酸いも甘いも味わった。社会の見たくない部分もたくさん見たし、何よりもお金を稼ぐ大変さを思い知った。100万円を稼ぐ大変さ、上司と部下との板挟みの中間管理職のストレス。
社会人って、大変だ。お金を稼ぐって大変だ。自分一人養うだけでもこんなに大変なのに家族を養うってもっともっと大変だ。
私と2つ下の弟は母と前夫の連れ子。そして父と母の間には子供が一人、父の血を分けた弟だ。そういえば父は、血の繋がりがない私のことも、ちゃんとお金をかけて育ててくれた。部活の備品でお金がかかっても、部活で遠征があっても文句言わず、決して安くはないお金をポンと出してくれたし、私が大学受験に失敗し、第一志望を諦め切れず、浪人することになったときも、「どうせなら行きたいところに行きなさい」と、100万円近い予備校費用と受験費用を出してくれた。
社会人になって、お金を稼ぐ大変さや大人の苦しみを知った今では、父に頭が上がらない。

器用な人ではなかったけれど、確かに愛されていたんだ

そういえば、大学に合格して私が中華料理食べたいと言ったら高級なお店を予約してくれたり、修学旅行の前にはアウトレットに連れて行ってくれて服やら靴やら一式買ってくれたっけ。教習所を卒業して車の免許を取ったときには「車買ってあげる」と言われた。
器用な人ではなかったけれど、確かに愛されていたんだなあ。
今になって思えば、父も苦しかったのかもしれない。思春期真っ只中の女の子の父親にいきなりなって、どう接したらよいのかわからなかったのかもしれない。
本当はドラマに出てくる一家団欒みたいに家族みんな仲良くしたかったのかもしれない。
もう過ぎたことなので、今になって確かめるすべはないけれど、これは言いたい。
「何不自由なく、育ててくれてありがとう。お父さんのこと分かってあげられなくてごめんなさい。当時は慮れなかったけれど、今思い返すと一緒に過ごした日々の中でお父さんがお父さんでいてくれて良かったと思える思い出がたくさんあります」
いつか、会えたら伝えたいです。