「どうしたどうしたどうした…?!?!」

ワイワイしていた会話が止まる。みんなが私の方を見る。

(私なんかやばいことした?!)

と思い、みんなに注目されている状況に背筋が凍った。

そういえば目頭がくて鼻が詰まって心臓がどきどきして目から塩味を感じていた。私の顔は真っ赤でくしゃくしゃ。だからみんなが心配してくれたらしい。
目の前にティッシュ箱が置かれた。

◎          ◎ 

その日は友人のたっちゃんを招いたピザパーティー。脱サラしてピザ屋さんを営む彼の話をみんなで聞こう!と言うものだった。普段正社員をしている私は飲食店を営むとはどんなものなのか話が気になって裏話を聞けるのではないか、と期待をしてその場にいた。もちろん、ピザも食べたくて。

が、

「今まで廃棄したのは焦げちゃった生地1枚」
「食材と会話するように、声を聴きながら製造している」

という話を聞いた瞬間ピザを食べる手が止まっていろんな感情や記憶が溢れてきた。

私は食べ物という存在というか、素材→料理に生まれ変わる過程が好きで、管理栄養士の資格取得のために大学4年間を注いだ。資格を持っていたらそれを活かした仕事にしたいと思うもの。だから、新卒で素敵な社員食堂を経営する企業に就職。晴れて料理にずっと寄り添える会社員になった。

ただ、そこでは食事提供を効率よく行うべく誰も食べ物なんか見ていなかった。「対料理」の職場環境なのに不思議だった。どちらかと言うと「対作業」な感じで食べ物はただの部品であり、材料でしかなかった。だからコスパ重視で大量に作っては営業終了後にゴミ箱にいかに早く残飯を入れるか、という作業が伴った。毎日。毎日。

食べ物に携わる=捨てる が伴うのは理解していた。食中毒の危険性があるから売れ残りを次の日にリメイク!なんて御法度。管理栄養士の常識。だけど、想像以上につらかった。自分の作った料理をゴミ箱に叩きつけるのは。1年でその状況に耐えきれず仕事は業種を変え、ITに転職した。

◎          ◎ 

そんな現場を見てきた私は、たっちゃんの話を聞いて”捨てる”の作業が伴わない飲食業があるんだと気付いた。それがなんだか嬉しかった。目の前のピザは美味しい。しかもそのピザのために犠牲になっているピザはいない。

私はどうだっただろうか。効率よくコスパよく調理するために味見は最低限。売れればそれでいい。余れば捨てればいい。不快感を感じながらも「それが飲食業だ」と思い込んで
勝手に絶望して飲食業界から離れた。自分の食べ物への愛からも離れた。

自分は何やってたんだ。そう思ったら自分の未熟さ。悲しさ。後悔。が込み上げてきた。同時に、自分が食べ物や料理が本当に好きだったことを思い出してワクワク感も込み上げてきた。ずっと鼓動が速かった。たっちゃんのピザにはタバスコなんか入ってないのに口の中がトマトの味とツーンとした鼻の痛さがあった。ちょっとしょっぱさも感じた。

◎          ◎ 

ピザパーティーの帰路、たっちゃんと二人きりになった。電車がきてさよならの時間がやってきた。咄嗟に何か言わなきゃと思って場を乱したお詫びをしようとしたのに

「自分の道に希望の光が差したような日でした!!」

そんなお礼の気持ちを込めた言葉をホームで叫んでいた。

自分の中で食とビジネスは混ぜると危険と無理やり信じていた。でもそうじゃないことをたっちゃんの言葉とピザの味から感じた。私は自分のお店を持つためにまた再出発した。