大学3年生、就職活動を行っていた頃、すべての根底に「こんな茶番で何が分かる」と大きな疑問が横たわっていた。髪色を暗くして、無難な色のリップを塗り、真夏だろうがストッキングを履いて、履き慣れないパンプスで都心の企業まで2時間の道のり。お膳立てされたグループワークで空想を膨らませたり、「あなた用」に書き換えた志望理由を意気揚々と話したりしてきた。
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巨大な「?」は集中力を削ぐ。しかし、体は言うことを聞いてしまう。言うことを聞くように、制御してしまう。だってそれがルールなのだから。内定を持たずに、卒業を迎えてしまうわけにはいかないのだから。
この方が印象がいいから、と証明写真の口角を加工されたとき、カラフルで自由な夢を描いていた頃の「わたし」は死んだ。死んだ心を無理やり面接に引きずって行ったある春の日、会場付近の目黒川沿いには刺して周りたくなるほどの花見客がいて、晴れた空と綺麗な桜並木、浮かれた人たちに心が限界を迎えて、今ここでゲロ吐いたら、人波は引くのかな、と思ったことだけ覚えている。朝から何も食べていないので、胃は空っぽだった。
落ちるところまで落ちた自分でさえ、学生の称号を失えば自動的に社会人とみなされる。長く勤められる会社には入社できず、ブラック企業で心も体もすり減らすことになった。会社をやめ、社会復帰のために行った求職活動でも、その後の仕事に嫌気が差してはじめた転職活動でも、やはり大きな「?」は消えない。
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特に、面接という場において、ピエロを演じることが正解なのか、サラダにドレッシングくらいの格上げなら許されるのか、私という素材で勝負する場なのか分からない。人に聞けば塩梅だよ、とのことだが、その塩梅が分からないからこそオンチなのだ。
「求める人物像」になろうとして脳内ブレーキが作動し頭が真っ白になったこともあれば、本音で勝負だ、と直球勝負を仕掛けた結果「人にはフォーマルな一面とナチュラルな一面があるけれど、あなたはナチュラルすぎる」と諭されたこともある。私だって会社からの電話と友人からの電話で対応は違う。そんなことは分かっているのに、塩梅、というやつは、会社員になって3年が経過しても分からないのだ。
消えない「?」に蓋をして、転職エージェントのアドバイスのもと徹底的な準備をして面接に臨んだこともある。結果は不採用、経験不足が理由とエージェントからのメッセージには添えてあったが、「斜に構えてテキトーにやったら落ちた」だけでなく、「真正面から本気で取り組んで落ちた」のスタンプまで押してしまった時点で、面接への苦手意識はトラウマレベルになってしまった。
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未だ就活オンチ、面接恐怖症を克服できていない自分から、人にアドバイスできることなど何もない。妹にアドバイスを求められた時にも、「企業理念など見るな、募集要項を穴が開くまで見ろ」としか言えなかった。あの頃何をどうしたって動かなかった巨大な「?」マーク付きの岩は、どうしたら動いたのだろうか。
「大学3年生になった」というだけである日突然背中を叩き出し、2年近く、ありのままの私でいることが悪だとストレスを受け続けた。「?」マークの理由を誰に聞いても納得できなかった就職活動とは、一体何だったのだろう。
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