「男子は白帽、女子は赤帽と言ったのに、聞いてなかったのか」。
年配の男性教師に叱責された。小学校で、赤白リバーシブルになった帽子を、男子は白を表に、女子は赤を表にしてかぶるように言われていた時のことだ。私が帽子を直す必要はなかった。教師は、私の顔と帽子の色をしげしげと見比べ、「あぁ、女子だったのか」と言った。
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背が高く、髪が短く、スカートをはいていないという理由で、白帽だと決めつけた、教師の短絡さ、想像力の欠如を今なら笑い話にできるのだが、当時は傷ついた。小6で160センチあった私は、大叔父に、「大女は嫁の貰い手もない」とか、クラスの男子から、「お前は女じゃない、いじめられるに決まってるし、絶対結婚できない」と呪詛のように言われた。
ちなみに、髪が短く、スカートをはいていないという属性は、私の意志ではなく、父方の祖母の趣味である。祖母にとって私は初孫になるのだが、男児が生まれてくることを期待していたようで、女は半額と言われた。祖母は質実剛健な人で、女子だからといって髪を伸ばしたり、スカートをはいてちゃらちゃらしていては学業に障るという考えだった。一昔前の女子バレーボール選手並みに髪を刈り上げにして登校した私を、担任の女性教師が、「さすがにこれはかわいそう」と言った。
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私は、男尊女卑の強い田舎で育った。私が高校で入部していた吹奏楽部では、女子が部長をした年はコンクールで金賞がとれないという謎のジンクスがあり、私の代で女子で部長を務めた子は、コンクールに敗れて、自分のせいだと号泣した。
猛勉強の末、都市部にある旧帝大に合格し、田舎を脱出できたときは、嬉しかった。親戚は、「女だてらに賢すぎると、ますます嫁の貰い手がない」とケチをつけたのだが。私が男子からいじめられていたことを話したとき、大学の女友達が言った。「それは、あなたが彼らより背が高くて、勉強ができたからでしょ。男って、女が思う以上にプライドの生き物なのよ」と。
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私が結婚したとき、田舎の親戚一同に驚かれた。大女で頭でっかちな私は、可愛げがなく、結婚できない女の見本のように思われていた。夫は、スラっとした高身長の女性が好きだというし、私の学歴についても、「頑張って勉強したんだね」と素直に称賛してくれる。そういうリベラルな考えの夫と出会えたことを私は感謝している。
結婚してすぐの頃、祖父の葬式で親戚と出会った。「おじいちゃんの生まれ変わりを早く産め」だの、「早く孫の顔を見せるのが親孝行」だのと言われたのは、いわば想定内で、適当にかわしておいた。ここで、マタハラだの人の性生活に干渉するのはプライバシーの侵害だのと騒いでも仕方ない。
田舎の人間、特に60年も70年もそういう価値観で生きてきた人は変わらない。自分を相対化する視点も持ち合わせていないので、自分の何が間違っているかも分からないのだ。
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ところで私は大人になってから、件の、赤白帽の教師と同じ間違いを犯してしまった。私は高校生に勉強を教える仕事をしていたことがある。名簿に「林るみな」と書かれた席に男子が座っていて、名簿と本人の顔を何度も見直してしまったのだ。
その男子は、「そういう反応自体、古いね」と自嘲気味に笑った。ちょうどその頃読んだ、比較的若い作家が書いた小説に、ハルとアキ、ウミとアミという名の男女が出てきて、ハルとウミが男性、アキとアミが女性だと思い込んで読んでいたら、実は逆だった。
著者に、読者の、性別による無意識の思い込みや固定観念を問い直す意図があったかどうかは分からないが、私は、自身のジェンダー意識も、つねにアップデートしていかねばと肝に銘じた次第である。