今はもう廃業しているものの、父方の実家はかつて酪農を営んでいた。
父の父、つまり祖父は私が生まれるよりも前に亡くなってしまっていて、酪農業は祖父の長子である伯父(=父の兄)が継いでいた。祖母は健在だったけれど、それでも私が小2の頃にはもう祖父の元に旅立っていった。

親の実家のことは、「おばあちゃんち」「おじいちゃんち」といった呼び方をすることが多いのだろう。実際、母方の実家は「◯◯(地名)のばあちゃんち」だった。

しかし、父方の実家のことは「モーモーんち」と物心ついた頃から当たり前のように呼んでいた。大人になった今この呼び方をするのはちょっと気恥ずかしいような気もするけれど、私にとっては慣れ親しんだ名前なので、父方の実家のことは以下「モーモーんち」と書くことにする。

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「モーモー」の由来は、牛の鳴き声だ。正確な頭数は把握していなかったけれど、おそらくモーモーんちでは40〜50頭の牛を飼育していた。母屋正面の脇に小型の牛舎がひとつ、母屋裏手に大型の牛舎がひとつ。牛がずらりとたくさん並んでいる裏の牛舎は何となく気圧される雰囲気があるからかほとんど入ったことがなかったけれど、表の小さな牛舎はモーモーんちに行く度によく覗き込んでいた。
ゆったり動き、のんびりエサを咀嚼し、時々鳴き声を上げる牛たち。自分の家でペットの類は何も飼っていなかったから、生活エリア内に動物がいるという環境がとても面白く映った。

そんなモーモーんちで食べた、忘れられない味。
モーモーんちの牛から搾りとった乳で作った、自家製チーズだ。
おそらく伯父か、伯父の奥さんである伯母が作っていたのだと思う。幼かったため、誰があのチーズを作っていたのかまではよくわかっていなかった。あるいはモーモーんちの台所を借りて、父が作っていた可能性もある。

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そんなあやふやな記憶ではあるけれど、チーズの味だけははっきりと覚えている。
私は子どもの頃も今も変わらずチーズが好物のひとつなのだが、モーモーんちのチーズほど異質なものには出会ったことがない。

一口サイズに切り分けられたモーモーんちのチーズは、口に入れた瞬間まず戸惑う。「美味しい」よりも「独特」が最初に抱く感想だ。

初めて食べたときは、「これって本当にチーズなの?」と思わず父に尋ねた。「チーズだよ」とさらっと返され、私はもう一度、平皿の上に並べられた白くて小さな物体をまじまじと見つめた。チーズ?これが?と。

味自体にそこまでの主張はないのだ。というか、一般的にイメージするようなチーズの味は一切しない。

どちらかといえば遠くに牛乳を感じるような味で、それがぎゅっと凝縮されているイメージ。でも、遠くで。近くはない。だから主張が少ない。それからちょっぴりの塩っ気が感じられる。限りなく控えめだけれど、こっくりとした味わいも確かに存在している。

そして味よりも特徴的だったのが、その食感だ。高野豆腐のような食感、とでもいえばいいのだろうか。水分をほとんど含んでいないように感じられて、ほろほろと簡単に口の中で崩れる。すごく、やわらかい。
ただ、確かに独特だとは思ったものの、不味いとは思わなかった。チーズなんだけれどチーズじゃないようなその不思議な食べ物は、妙にクセになった。ひとつ、ふたつ、とぱくぱくつまめてしまう素朴さがそこにはあった。

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モーモーんちの自家製チーズと同じ味・同じ食感がするチーズに出会ったことはこれまで一度もない。だからこそ、ずっとずっと記憶の中に焼きついている。

そして、食べたくても、モーモーんちのチーズはもう二度と食べられない。
伯父も伯母も数年前に病気で亡くなっているし、廃業したからあれだけたくさんいた牛たちももうどこにもいない。さらに言うと、モーモーんちの母屋は昔火事に遭って全焼してしまっている。更地になったその場所を、去年父や妹と一緒に見に行った。

目の前に広がるがらんどうの空間とモーモーんちで過ごした時間が上手く結びつかなくて、少し、さみしくなった。生まれ育った家を失った父は、きっともっとさみしかったはずだ。

とはいえ、病が人の命を奪っても、炎が家を焼き尽くしても、記憶までは消えない。
遊びに行くたびに出迎えてくれた伯父や伯母の姿、実家にはなかった大きな掘りごたつ、立派なお仏壇と畳の部屋、牛舎から立ちこめる獣臭い香り、不規則に響く「モーモー」、そして、あの自家製チーズ。

失われずに残り続けるものだって、ちゃんとある。

今度実家に帰ったとき、モーモーんちで食べたチーズについて父に訊いてみよう。作り方を知っているかもしれないし、「市販ならこれと似てるよ」と、類似のチーズを教えてくれるかもしれない。