「この人は、あなたの知り合いかもしれません」
青い海をバックに、爽やかな笑顔を見せる中年男性。
「友達になる」「削除する」
二つの選択肢が用意されている。
胸の奥がざわつき、スマホを持つ手が固まった。
友達どころか、この人は、もっと深い関係だ。
その日SNSで見つけたのは、十年会っていなかった父親だった。
◎ ◎
両親が離婚したのは、高校一年生のときのこと。迷わず、母に付いて行った。
これが幼いころの出来事だったら、「父親との月一回の面会」なんかが、自動的に用意されたのかもしれない。
すでに高校生だった私は、一体どうするのが正解だったのだろう。
父のことは、決して嫌いなわけではなかった。
熱血な仕事人間だけれど、動物や子供の前では表情がゆるむ父。幼いころは、優しい父にべったりだった。
母と二人での暮らしが始まると、取り残された父の「今」に向き合うのが怖くなった。
お父さんは、ちゃんとご飯を作って、食べているのだろうか?
仕事が忙しいのに、家事はどうしているのだろう。
私とお母さんが居なくなって、荒んだ生活をしているのだろうか……。
考えると、どうしようもなく、息が苦しくなった。
大学受験に合格し、成人式を迎え、就職活動を乗り越えても、人生の節目の隣に、父の姿はなかった。
◎ ◎
SNSで父を見つけてから、突然の「再会」を受け止めるまでに、一週間は掛かっただろうか。
プロフィール画像の父をよく見ると、海を背景に、日に焼けて白い歯まで見せている。
「ここは、どこの海だろう。旅行へも、行けているのかな」
写真一枚に、余計な憶測ばかり膨らむ。意外と、充実した日々を送っているのだろうか。
思い切って、父にメッセージを送った。
「お父さん、久しぶり。元気にしていますか」
「ずっと連絡を寄越さないで、何を今更だ」と、父は怒るだろうか。
父からの返信があった。
「久しぶり。今度、食事にでも行こうか」
父は、私の知っている、優しい父のままだった。
離れていた時を埋めたいと思っているのは、私だけではなかったのだと知った。
◎ ◎
それから、何度も父と会った。
身構えていたのは最初だけで、話題は昔とたいして変わらなかった。
「この付け合わせのポテト、美味しいね」とか、「最近、腰痛がひどいんだ」とか。
もちろん、今している仕事のことや、どんな大学に通っていたか、なんて話もした。
ずっと伝えたかったことを、なんてことない口調で話した私は、ひどく早口だったことだろう。
父は、ひとくくりにして、「がんばったんだね」と目を細めた。
これまでの十年の片隅にあったさみしさが、父の言葉で、溶けて行く。
私も父に、「がんばったんだね」と言いたかった。
きっと、父もこれまで頑張ってきたはずだ。
頑張った日々に、隣には居られなかったけれど、私たちはお互いに想い合っていた。
◎ ◎
父と再会して一年後。晴れの日に、ウェディングドレス姿でバージンロードに向かった。
父は、いつもの優しい面持ちで、私の隣に立ってくれた。
バージンロードは、「花嫁の人生」を表すのだと言う。教会の扉を開けて、歩き始める時が、命を授かったときなんだとか。そこから、新郎のもとに引き渡されるときまで、歩みを支えてもらうために父と歩く。
私たち父娘には、たしかに空白の年月があった。それでもこの道は、やっぱり父と歩きたかった。
願いが叶い、父と娘としてまた繋がることができたのは、きっと偶然じゃない。
「娘を、頼むよ」
父が、レースのグローブをはめた私の手のひらを、そっと彼に差し出した。
ウェディングドレスの背中を押され、彼のもとに歩き出す。
振り返らなくても、もう大丈夫。私の人生の道の上に、ずっと、お父さんは居てくれる。