十年振りの父と歩くバージンロード。離れていてもずっと私の人生にいた

「この人は、あなたの知り合いかもしれません」
青い海をバックに、爽やかな笑顔を見せる中年男性。
「友達になる」「削除する」
二つの選択肢が用意されている。
胸の奥がざわつき、スマホを持つ手が固まった。
友達どころか、この人は、もっと深い関係だ。
その日SNSで見つけたのは、十年会っていなかった父親だった。
両親が離婚したのは、高校一年生のときのこと。迷わず、母に付いて行った。
これが幼いころの出来事だったら、「父親との月一回の面会」なんかが、自動的に用意されたのかもしれない。
すでに高校生だった私は、一体どうするのが正解だったのだろう。
父のことは、決して嫌いなわけではなかった。
熱血な仕事人間だけれど、動物や子供の前では表情がゆるむ父。幼いころは、優しい父にべったりだった。
母と二人での暮らしが始まると、取り残された父の「今」に向き合うのが怖くなった。
お父さんは、ちゃんとご飯を作って、食べているのだろうか?
仕事が忙しいのに、家事はどうしているのだろう。
私とお母さんが居なくなって、荒んだ生活をしているのだろうか……。
考えると、どうしようもなく、息が苦しくなった。
大学受験に合格し、成人式を迎え、就職活動を乗り越えても、人生の節目の隣に、父の姿はなかった。
SNSで父を見つけてから、突然の「再会」を受け止めるまでに、一週間は掛かっただろうか。
プロフィール画像の父をよく見ると、海を背景に、日に焼けて白い歯まで見せている。
「ここは、どこの海だろう。旅行へも、行けているのかな」
写真一枚に、余計な憶測ばかり膨らむ。意外と、充実した日々を送っているのだろうか。
思い切って、父にメッセージを送った。
「お父さん、久しぶり。元気にしていますか」
「ずっと連絡を寄越さないで、何を今更だ」と、父は怒るだろうか。
父からの返信があった。
「久しぶり。今度、食事にでも行こうか」
父は、私の知っている、優しい父のままだった。
離れていた時を埋めたいと思っているのは、私だけではなかったのだと知った。
それから、何度も父と会った。
身構えていたのは最初だけで、話題は昔とたいして変わらなかった。
「この付け合わせのポテト、美味しいね」とか、「最近、腰痛がひどいんだ」とか。
もちろん、今している仕事のことや、どんな大学に通っていたか、なんて話もした。
ずっと伝えたかったことを、なんてことない口調で話した私は、ひどく早口だったことだろう。
父は、ひとくくりにして、「がんばったんだね」と目を細めた。
これまでの十年の片隅にあったさみしさが、父の言葉で、溶けて行く。
私も父に、「がんばったんだね」と言いたかった。
きっと、父もこれまで頑張ってきたはずだ。
頑張った日々に、隣には居られなかったけれど、私たちはお互いに想い合っていた。
父と再会して一年後。晴れの日に、ウェディングドレス姿でバージンロードに向かった。
父は、いつもの優しい面持ちで、私の隣に立ってくれた。
バージンロードは、「花嫁の人生」を表すのだと言う。教会の扉を開けて、歩き始める時が、命を授かったときなんだとか。そこから、新郎のもとに引き渡されるときまで、歩みを支えてもらうために父と歩く。
私たち父娘には、たしかに空白の年月があった。それでもこの道は、やっぱり父と歩きたかった。
願いが叶い、父と娘としてまた繋がることができたのは、きっと偶然じゃない。
「娘を、頼むよ」
父が、レースのグローブをはめた私の手のひらを、そっと彼に差し出した。
ウェディングドレスの背中を押され、彼のもとに歩き出す。
振り返らなくても、もう大丈夫。私の人生の道の上に、ずっと、お父さんは居てくれる。
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