2022年に娘を出産し、私は夫を「父親」にした。
好きになった人、結婚し一緒に暮らしている人、今一番身近な人が「父親」になる。
夫婦として過ごした3年の中で、ある程度は彼のことを理解していると思っていた。
甘かった。
「何してんだコイツは?」
産後のイライラも相まって、彼の行動に頭を抱える日々。
思い出したし、思い知った。
私にとって「父親」は、そもそも理解できない存在だった。
◎ ◎
ずっと不思議に思っていることがある。
人にもよるが女性は妊娠した瞬間に母親になっていく。お酒や生もののような食べ物飲み物の制限に耐え、つわりに耐え、日々変化し大きくなっていくお腹を庇いながら、生活する。
そして陣痛に耐え、股を割き、腹を切り、赤ちゃんが自分の体内から出てくるのを目の当たりにする。妊娠から出産の過程の中で母親の実感が湧く瞬間はいくらでもある。
父親はどうか。
どちらかというと育児を頑張ってほしかったが、私の夫は産後「もっと仕事頑張る!」と的外れに泣いていた。同期は実際に出産に立ち会っても「俺が父親……?」と実感が湧かなかったらしい。
体の変化もなく、痛みもなく、ただ妻とした女性が「子供を産んだ」という事実だけで、なぜ父親になれるのか。好きな人が子供を産んだだけで父親になれるのなら、会ったこともない好きな女優が出産した時も父親になった気になるのか?
もし妻が産んだ子供が自分の子供ではなかったら?
今のところ、納得できる答えをくれた男性はいない。
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私の父親も理解できない人だった。
高校生になっても21時以降のテレビは視聴禁止。携帯電話も持たせてもらえない。音楽プレーヤーはウォークマンやiPodではなく、父こだわりの知らないブランド品。
仕事の関係で仕方ないとはわかっているが、2~3年おきに転勤。金銭的な理由で大学進学は諦め、奨学金も借りさせてもらえなかった。ドラマやメールの話がメインだった中学校時代、私は周りの会話に入れず浮いていた。
私が高校に進学して、もう家族を振り回せないと単身赴任をしたが、もしも一緒に住んでいたら反抗期で家の中は最悪な雰囲気となっていたに違いない。
義両親が実家に挨拶に来た際に父は「娘は周りになじむのが苦手で~」と言っていた。
みんなと同じようにドラマを見せてくれれば、携帯を持たせてくれれば、大学に行かせてくれれば、あなたが私のことを理解してくれていれば。
私が父を理解できない以上に、父は私のことを理解できない。
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「無理無理無理無理!自分のことでいっぱいいっぱいだもん!」
五月晴れの空の下、上野の居酒屋で同期が叫ぶ。彼はその時いた同期の中で唯一結婚しておらず、将来子供も欲しくないとのことだった。
私も彼も既に転職しているが、同じ会社に在職中からなんとなく彼とは対極にいると感じていた。彼のことが嫌いだったのではなく、仲良くしたいけど共通点を見つけられないといった感じだった。
そんな彼の、聞く人によってはわがままと言われそうな言葉の方が、私は納得できた。
自分のやりたいことを優先したい。
責任を負いたくない。
ちょっと頼りないかもしれないが、信用できるのは中途半端に父親となった「夫」よりも自由を貫く「彼」なのでは?楽しそうに酔う同期を見ながら、娘の夜泣きでボロボロの私を置いて妹の誕生日プレゼントを買いに行った夫を思い出していた。
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粉ミルクの缶はフタをしっかり閉めてほしい。スマホよりも娘を見ていてほしい。
娘が生まれてから夫への要求は確実に増えたが、夫はそれに応えようといつも頑張ってくれた。それでもなお「なんで父親なのにわからないんだ!」とはらわたが煮えくり返るような怒りを感じる時がある。
父親の自覚や責任を持った父親、子供の変化に敏感な父親……。
夫になってほしい「父親」像はたくさんある。
私が「父親」という役割を理解できないのは、いろんな理想が混ざり合って、結局はっきりしないものになっているからかもしれない。
そもそも「父親」を信用していないのかもしれない。
都合よく察してくれる人が欲しいだけかもしれない。
この先、夫はどんな父親になるのか。
私が「父親」に納得する日はくるのか。
理解できない存在と、今日も私は子育てをする。