今から遡ること8年前の夏、北関東に住む通信制高校の3年生だった私は小さな頃からずっと憧れていた大都会トーキョーに行きたいと母親に相談した。
両親の信仰する宗教施設に向かう車中でだったように記憶している。

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すると間もなく「みーちゃんは女の子だからそばにいてほしいな」「きっと◯◯(弟)は男の子だしすぐ離れちゃうと思うから」と運転席の母親から返事が返ってきて、当時の私は親にさえ自己主張ができなかったため「そっか、そうだよね」とそれを受け入れるほかなかった。

でも、私自身にも問題はあった。明確な進路やなりたい職業があったわけではなく、ただただ東京の大学に行きたかった。やりたいことなど行ってから決めればいいかと思っていた。アルバイトも続かず好きなように趣味に時間を割いてのらりくらり生きていたため信頼が得られなかったのだろう。母親も私という不安定な人間を心配しての発言だったのかもしれないと今になって思う。

結局推薦で地元の女子短期大学に入学したものの、登校期間はわずか1ヶ月ですぐに辞めることになった。自分の肌に合わなくて精神を病んだためだ。

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それからは、精神病院に通院しながら実家で家事手伝い(死語?)をしつつアルバイトに応募しては辞めを繰り返し、たまにインターネットで知り合った男性と会ったり、文章を紡いだりして生命を延長してきた。

こういう受け身な生き方に、少し前までは焦りを感じていた。「今の時代は女も外に出て働かなければいけない」というある種の呪いにかかっていたように思う。メディアや世界の傾向を見ると、女も自立してナンボな雰囲気がヒシヒシと感じ取れる。

「家のことをしなければならない」という呪縛があるとするのなら、「キャリアを積まなければならない」という呪縛もそこかしこにある気がする。

モテる女の条件に「精神的にも金銭的にも自立した女」が入っているのも見かける。

現代で「女の子だから」と塞がれた穴の中で生きることを選択した人、キャリア向きではない性質の人は、今の状況や生き方を丸ごと自分で受け入れてあげることが大事なんじゃないかと思う。

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世間は社会で活躍する女を求めている。生産性のある人間を求めている。でも、私はそうなれなかった。それでも自分の生き方に金メダルをあげたい。

洗濯を干して家の中を綺麗にして美味しい料理を作って外に働きに出た者の帰りを待つ。今はもう「こういう生き方しかしてこなかったもんな」「精神科の先生も『この生活を続けていきましょう』って言ってくれてるし、医師お墨付きじゃん」「今から社会で バリバリ働くのは厳しいや」と開き直れるくらいには成長した。

「いやそこ、開き直っちゃダメでしょう」

なんて今更人様に言われてももう遅い。

良きパートナーとの出会いによってここまで考え方が変わったので、人との出会いというものは良くも悪くも人生を激変させるのだなと痛感。

家の秩序を保つという立派な役目を果たしているのだから、誇りを持って生きていきたい。