中学生の時に大嫌いだった男子に言われ、今もずっと許していない罵り言葉がある。

「おまえの父親はヤンキーだ」。

どういう流れで言われた言葉なのかはおぼろげだが、父親の職業の話をしていたときだったことはハッキリと覚えている。
私の父は塗装業をしている。「塗装業はヤンキーの人が就く職業に違いない」という偏見に基づいた発言だった。

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ここまで読んだ人は気づいているだろうが、私の父親がヤンキーだったことは一度もない。それどころか、一般に想像する「ヤンキー=暴力をふるい、ロクに学校へ行かない」イメージとは真逆だ。

暴力沙汰で人に迷惑をかけたことは一度もなく、数学が得意で大学にまで行き、子どものために教育費を惜しまない人であった。私が塾なしでかろうじて国立大学に進学できたのは、二次試験の直前まで父親に数学を教えてもらったからだし、奨学金なしで大学を卒業できたのも父が授業料と生活費を負担してくれたおかげだ。
家族のために、地域のために誠意を尽くして働き、心を砕いてくれた自慢の父親だ。

「塗装業=ヤンキー」のイメージが一般的だとしたら、私の父は異色の経歴の持ち主だろう。私が小学校に上がる頃に塗料の卸会社を脱サラし、塗料を「塗る側」になった。

根っからの職人気質で、サラリーマンは性に合わなかった。予算や納期の都合で折り合いをつけなければならないのがサラリーマンが抱えるジレンマだからだ。

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自らその道を選んだとはいえ、ストレスがなかったわけではない。「塗装業=ヤンキー」の世間のイメージにそれほど違いはないようで、現場を片付けない・手順を踏まえて塗ろうとしない・くわえタバコで作業をする・給料を前借りしまくる、などの人が周りにけっこういて、サポートが大変だったらしい。

祖母は自慢の息子がサラリーマンを辞めて「ペンキ屋」になってしまったと本気で悔しがっていた。作業着を着て歩くと、現場仕事で鍛えられた屈強な体格も相まって距離を取る人が多い。ちなみに作業着は新品を着て歩くようにしているので、塗料で他人や店を汚す心配はない。
時には、本物のヤンキーすらも父を怖がった。彼らがコンビニ食べかけの弁当を「不味いから」とぶちまけようとしていたときのこと。父が「何をしてるんだろう」と視線を向けた拍子に、ごまかすそぶりをしたという。

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そんな父に一度だけ自分の仕事の相談をしたことがある。先輩にセクハラやパワハラをされたこと・企画を横取りされたこと・自分の専門外の学部を出た人にしかわからないような内容の仕事をずっと担当させられていること。

言葉をいくつか交わした中、父の一言がずしりと重しのように残っている。「でも、その道を『選んでしまった』のはアンタだからね」。

私は私の進路選択にあまり悔いがないので、見当違いなコメントだと今も思っている。

人生をRPGゲームに例えると、その時々の選択肢から私が選んだ道は、何度人生をやり直したとしてもそれを選んでいただろう。必然的に私は今の仕事に辿り着いていたと思う。

自分で選んだ道だから、しのごの言わず踏ん張れということなのか? その言葉に父の個人的な後悔のニュアンスが含まれているように感じたため、それ以上は聞けなかった。
父は、人生の選択肢の何かを悔いているのだろうか。家族のために捨てざるを得ない選択肢があったのか。自分のことを多く語らない父のことだから、憶測の域を出ない。

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父が一人親方を始めてから、四半世紀が過ぎた。長年の功績と塗料への豊富な知識が認められ、鉄工会社の塗装部門からお誘いが来るまでになった。母はたいそう喜んでいたが、今の取引先との関係などいろいろ折り合いがつかず、結局保留となってしまった。

肝心の父がこれをどのように受け止めているかは本人が語らないのでわからなかった。

今までずっと深い愛情を注いでくれた父の内面を私はほとんど知らない。父の涙すら、私は祖父が亡くなったときの一度しか見たことがない。

どうして塗装業を選んだのか、世間の偏見を悔しく思わないのか、ついでに言うと、なぜ、どれほど注意をしても歯を磨かず寝てしまうのか……。

父が全部自分で抱えているから、私には父がわからないのかも、と昔は思っていた。けれども、町内会での長老たちとの連携ぶりを見るに、抱え込むタイプではないようだ。仕事はキッチリやる、けれどもどうにもならないことは受け流し、おおらかに構える。こんなところだろうか。歯磨きに関してはおおらかすぎて、大きめの差し歯を入れるようになってしまった。

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塗装業、62歳。これだけではわからない歴史が父にはたくさん詰まっている。実の娘にもわからないことだらけなので、余所からはよけいにわからないだろう。だからせめて、私だけは職業で父を、人を判断しないようにしたい。
ちなみに「ヤンキー」にもいろいろいると思うので、冒頭に述べた「ヤンキー=暴力をふるい、ロクに学校へ行かない」というイメージも、初対面のヤンキーっぽい人には抱かないように気をつけている。

父についてのお決まりの紹介文でこの文を締めくくろう。
「父は、塗装業をしています。数学がとても得意で、大学入試まで勉強を教えてくれた、面倒見の良い父親です」。
どうだろう、少しは父を多面的に言い表せているだろうか。