大学生活は、想像していたよりもゆとりがある。ここ2か月は春休みで、アルバイトと資格取得に向けた勉強くらいしかやることがない。平日は家族全員いなくなるため、私だけのお城になるのだ。
ちなみにこの瞬間のみ、リビング占有権とテレビのチャンネル権が得られる。
春休み生活を試行錯誤しているうちに半分過ぎ、興味は「食」に移行
最初こそ満足するまで眠っていたが、眠ったからといって身体に元気が満ちるわけでもなく、むしろ眠りすぎたことによる倦怠感が不快。
SNS徘徊は何もしなかった罪悪感に苛まれるので止めた。
また、真昼間から半身浴をしてみた。普段は夜に入るのでなんて贅沢なんだ!と興奮したがガス代が気になり落ち着かない。
ああでもない、こうでもないと考えているうちに、いつの間にか春休みの半分を消費してしまっていた。
次に目を付けたのは「食」だった。自分で作る、うどんやラーメンはトッピングの変化のみでレパートリーが少なく、もう飽きていた。だから、何となく簡単そうな料理動画を真似してつくってみることにした。
そして、見事にはまった。
自分のカルボナーラの出来に高揚した私は、「母を超えた」と謎の自信
最初は味が薄いなんちゃってカルボナーラ。麵同士がくっついており出来はそこまでよくなかったが、満足感があった。
もともと母は料理が苦手で、揚げ物が食卓に並んだことはなく、カレーはサラサラの液体、そのカレーに入っているジャガイモとニンジンの食感はゴリゴリ、味噌汁には味噌のかたまりが沈んでいる……というのが当たり前。それもあり、自炊はそのレベルが限界なのだと勝手に思っていた。
自分のカルボナーラの出来に高揚していた私は「間違いなく母を超えた」と謎の自信を持ったのである。
私は次に肉料理に挑戦しようと思った。2キロの鶏むね肉を購入するところから始めた(大量買いすると安いため)。
中学生の頃に理科の授業でアサリの解剖を行ってからというもの、特定の種類の生物に対してちょっとした恐怖心があった。今はもう水族館へ行けないし、スーパーの鮮魚コーナーで売られている魚と目が合ったら鳥肌が立つ。お寿司は好んで食べるが鱗や臓器を思うと、食べられなくなる時もある。
何が言いたいかというと、買ってきたむね肉を前に怖気づいてしまったのだ。
さすがに2キロも一気に食べられるわけもなく、冷凍するために切る必要があった。そのためにむね肉をまな板に置いたとき、指先で触れた生肉の触感に動揺してしまった。
この瞬間まで特に何も思わなかったというのに。
将来に淡い期待を抱きつつ、レシピを日々インターネットで漁る
けれど、ここで放置するわけにもいかず、自分を奮い立たせようとソーラン節を流しながら必死に切り分けた。
そうして何とかサラダチキンを完成させた。冬なのに額に汗がじわりとにじんでいた。味付けをして炊飯器のボタンを押しただけだけれど、出来栄えは良い。すっかり調子づき、次の日は唐揚げを作った。その次の日は照り焼きを。
ポテトサラダ、たまごサンド、ドリア、チーズリゾット等、簡単なものではあるけれど、徐々に作れるものが増えていった。できるだけ家にある材料を使うことと洗い物を少なくすることを意識して、それをミッションのように楽しみながら作っている。
料理をひとりのときしかつくれないのは、妹がいると別に妹へふるまうわけではないのにもかかわらず、必ず文句を言われるからだった。他の家族からもなにかしらテンションの下がる指摘が入る。気にしなければいい話だが、そうもいかない。
だからひとりの時にゆっくりと料理がしたい。
いつか同棲したら〜、恋人ができたら〜、という淡い期待を抱きつつ、また、一生独り身でもおいしいご飯が家で食べられるようにレシピを日々インターネットで漁っている。
そういう考えを巡らせることも含めて、楽しい時間だと思った。