バレンタインに手作りチョコをあげるか、市販のものにするか、というのがあの頃の私の大命題だった。付き合っている相手なら手作りも可、付き合っていない相手なら市販品が無難だよね、というのが私たちの共通認識としてあった。手作りの方が心がこもっていて良いというような感覚はさすがになくて、逆に手作りは重い、時代に合わない、時代に合わないことをすれば気味悪がられる可能性がある、という感じだった。

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その年、私は付き合って間もない相手がいて、バレンタインに何を渡すか迷っていた。デパートの催事場に行けば、ゴディバやピエールマルコリーニなど、これは確実に美味しい、誰もが喜ぶテッパンの商品が並んでいる。この中から三千円程度のものを選べばいいや。この前も電車の中で、高校生らしき男子たちが、バレンタインにもらって一番うれしいのはゴディバだと話していたしな、と手にした矢先、私の中にもう一つの声が生まれた。でも、高級チョコの濃厚でねっとりした食感が苦手な人もいるよね? じゃあ手作りしてみるか?

――結局、私は柄にもなく、手作りということがしてみたかったのだ。だから自分の思考を無理やり自分の都合のいい方向にもっていった。言ってしまえば自己満足。けれど、チョコを手作りするといっても、溶かして型に入れて固めるだけ? そんなの、小学生がお父さんにあげるプレゼントでもできる。そんなものをあげたら、かえって料理が下手であることを露呈する結果になるかもしれない(実際、お菓子など作ったこともなかったのだがそんなとき、私はとっておきの商品を見つけた。お菓子作りのキットである。箱の中に必要な材料がすべて計量済みで入っていて、箱の裏に書いてある手順通りにすればよいという、あれだ。これならさすがに初心者でも失敗しないだろう。フォンダンショコラのキットを手に取った。

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バレンタイン前夜、私は満を持して菓子作りに取り掛かった。が、そこで重大なミスに気付く。私はキットの中に必要な材料はすべて入っていると思い込んでいた。ところが、箱の裏面をよく読むと、卵と牛乳、無塩バターだけは自分で別に用意するよう、但し書きがある。こんな大事なこと、もっと大きな字で書いておいてもらわなければ困る! 私は近くのコンビニに走った。卵と牛乳は難なく手に入る。しかし、問題は無塩バターだ。有塩バターならいくらでも売っているが、製菓の場合、無塩バターでなければならず、有塩での代用はできないことくらい、料理オンチの私でも知っていた。あわてて閉店間際のスーパーに駆け込んでそれを手にしたとき、どっと汗が出た。

家に戻っていよいよ制作開始である。ところが最初からつまずく。「チョコを60℃の湯せんで溶かす」? 60℃ってどのくらい? 料理用の温度計といった気の利いたものは我が家にはない。だいたいでいくか? でも、お菓子作りは数字に厳密でなければ失敗するというしな、と迷いながら、沸騰したお湯を少し冷まして湯せんする。次の関門「卵白を泡だて器で泡立てます」? 泡だて器は家にあった気がする。でも、どこにしまったんだっけ? 押入れをごそごそあさってやっと見つけた。「粉は必ずふるってから」? ふるい器はないから、茶こしで代用だ。なんとか生地をオーブンに流し込んだときには疲労困憊状態である。

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か月後のホワイトデー、彼はお返しにケーキをくれた。なんと自分で作ったといういちごのタルトである。知らなかったが、彼はいわゆるスイーツ男子で、自分でお菓子を作るのが趣味だと言う。食べてみると、生地のさくさくほろほろ加減といい、甘いカスタードクリームと甘酸っぱいいちごの組み合わせといい、完璧な仕上がりだった。そして私は悟った。彼との仲も長くはないな、と。

以来私は、二度とお菓子を手作りしないことに決めている。