結婚した。純白のドレスを着た。オーダーメイドのティアラをきらめかせ、大粒のダイヤが埋め込まれたティファニーの婚約指輪とカルティエの結婚指輪をつけた私は、その日から多分婚前の私と少し違う。

それは苗字が、とか暮らす場所が、とかいう意味ではない。私自身が、ほんの少し、よく観察しないと分からない程度に変わったのだ。

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たとえば。

以前は蛇蝎のごとく嫌っていた家事を、するようになった。洗い物をし、掃除機をかける。洗濯機を回して止まったらたたむ。
こんな当たり前のことすら出来ていなかった私は、結婚をして変わったと言えるであろう。

それに。

昔は人生について非常に悲観的だった私だが、「まだもう少し生きていてもいいんじゃないか」と思えるようにもなった。

つまり、前向きになったのだ。「人生」に向き合えるようになったのだ。
家事を放棄していたのは、生きることが面倒だったから。死にたかったのは、人生に飽き飽きしていたから。
それを打破してくれたのは、私の理解者である最愛の那である。

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プロポーズの言葉は「死ぬ時は一緒に安楽死をしよう」だった。死ぬまで一緒。
これこそ私が求める言葉だと思った。だから、彼に決めた。

居心地のよい人だった。笑いのツボが似ているし、趣味もだいたい同じだし。
だから結婚なんて興味もなかったけれど、この人と死ぬために、私は結婚を決意した。偕老同穴である。
死ぬ時一緒なら、今すぐじゃなくていい。そう思えたから、私は今人生を謳歌している。
趣味を全力で楽しみ、出不精が治り
友人たちと活発に出かけるようになったし、様々な料理にチャレンジしている。
まるで死にたいなんて思ったことのい人みたいに。

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相変わらず生きるのは面倒だと思うし、料理だってするけれど本当は面倒くさい。でも、料理はするし生きるのだ。たまにサボっても家事はする。生きている。

こんなこと、結婚前の私が知ったら信じないと思う。死ななくていいと思う私なんて。面倒だと言いながらも家事をする私なんて。そもそも結婚するなんて。
でも人生はわからない。そんなものだ。私の場合、そのきっかけを偶然掴んでしまっただけ。もしそのきっかけがかったら、私は多分未来永劫死にたがりの面倒くさがりだ。それもいいじゃないかと思うけれど、今の私も嫌いじゃない。

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変わって、良かったんじゃないかなと思う。
面倒くさいから家事を放棄、から面倒
くさいけど家事をする。ほんの些細な違いだけれど、前を向いて進めているのではないか。停滞することや後ろ向きであることを悪だとは思わないけれど、前向きな方が楽しそうじゃないか。だから、私は前より3ミリだけ、前向きな人間として生きている。 

これがまた変わるのか、あるいは後ろ向きに戻るのかは分からないけれど、確実に言えるのはほんの少し変わった私は魅力的であるということだ。
周りにも、「更に明るくなったね」「今は生きてて楽しそう」と言われることが増えた。良いことだと思う。

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変わらないことは美しいけれど、変わることだって美しい。

変わりたくないという方に変われと強要することはいけれど、変わりたいと思うあなた。ぜひ、ほんの少し日常に変化を与えてみよう。ネイルを変えるとか髪型を変えるとかでも、それをきっかけに十分私たちは変身できる。
これを読んでくれたあなたにも、素敵な変化が起こりますように。