新社会人として働きはじめて3ヶ月が経った頃、私は鬱になっていた。原因は会社の人間関係だ。常に張り詰めている社内、飛び交う悪口、吐き捨てられた暴言。日に日に自分の精神が削られていった。

自他共に認めるほど食べることが大好きなのに、精神が削られていくにつれ、お腹がすかなくなり、ご飯を食べることができなくなっていた。例としてあげるなら、1日の食事がカニカマ2本とみかん1つだった。毎日死ぬことばかりを考えてギリギリで生きていた。

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そんな生活をしばらく過ごしていた頃。私に恋人ができた。歳が2つしか変わらないとは思えないくらい、落ち着いていて、鬱の私を支えてくれて、一緒にいると安心できる人だった。

思うようにご飯が食べられなかった私だが、彼と一緒に食べるご飯は全部美味しく感じて、食事をとれるようになっていった。

はじめてお泊まりした朝、先に起きて作ってくれた焼き鮭・スクランブルエッグ・ご飯の、和洋折衷な朝ご飯。外暑いね〜ってコンビニでアイスを買って、結局エアコンが効いた涼しい部屋で寒いねって言いながら食べた日。彼が人気のカードがほしくて探しまわった結果、無事に見つかってうれしい気持ちになりながら入った中華屋チェーン店の天津炒飯。

彼と食べたご飯は全部美味しかった。

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高級食材や三つ星レストランなど、世の中が良いとしている食べ物も、もちろん美味しいと思う。自分の好物であるショートケーキを食べているときだって美味しすぎてガッツポーズする時だってある。でも、そんな世の中が美味しいと評価するものより、自分の1番好きな食べ物より、私は彼と食べたご飯の方が美味しくて忘れられない味になった。

しかし、言い合いをすることが多くなり、徐々に彼から距離もとられるようになって、結局、私は彼に未練を残したまま別れた。

別れてしばらく月日が経った頃、友人と例の中華屋チェーン店に行った。美味しかった記憶があったので天津炒飯を頼んでみた。あの頃の美味しかった味を思い出しつつ待っていると、湯気がもわんと顔にかかってくるぐらいの出来たてがきた。
これ本当に美味しいんだよね〜!と友達に話しつつ、興奮気味の私は猫舌なことも忘れてアツアツの天津炒飯をガブッと食べた。

やっぱり熱すぎて、最初はあまり味がわからなかったが、徐々に食べ進めるにつれ、味が鮮明になってきた。やっぱり美味しい〜!ふわふわの卵に汁だくの炒飯が自分好みであっという間に完食していた。

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店を出て、友人と解散した後の帰り道、ふと天津炒飯のことを思い出した。今日食べた天津炒飯はもちろんチェーン店なので味は変わらず美味しかった。だが、あの頃と比べて、満足感がなかった。私は心にぽっかり穴が空いた感覚になったのだ。切ない気持ちが胸を締めつけた。

私は彼と食べたものを食べるたびに、彼を思い出し、胸が苦しくなるようになった。食べるたびに思い出す「永遠の味」となったのだ。別れてから1年半ほど経ち、他の人と付き合ってみたりしたが、いまだに変わらず、思い出して胸が苦しくなる。

でも、私は苦しくなるからといってこの「永遠の味」を忘れたいとは思わない。

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彼は私にとって命の恩人だから。あの時彼に出会っていなかったら、楽しかった時間を過ごすこともなく、鬱のままご飯も食べられず部屋にこもっていたかもしれない。変わらず毎日死ぬことばかりを考えていたかもしれない。もうこの世にいなかったかもしれない。
でも彼がいたから、鬱から抜け出して今の私がいる。全部彼のお陰だ。

今の私は転職して、優しい先輩に囲まれながら仕事をしている。鬱だった頃が嘘のように、生きててよかったと思いながら、毎日元気に過ごしている。

そんな私は今も変わらず、彼への感謝を思い出すために「永遠の味」を食べる。