3mm髪を切ったらどのくらいの人が気づいてくれるだろう……。
誰にも気づかれないかもしれない。自分でもわからないかもしれない。
でも、「髪を切った」事実があり、確実に変わっているのだ。
そんな、気づかないけれど変わっていくのは「暮らし」も同じ。
毎日同じことの繰り返しでうんざり……。
いいことなんてない……。
楽しいことがやってこないだろうか……。
と思っている自分がいた。
あなたに出会うまでは……。
◎ ◎
はじめての子育て。右も左もわからず、子育て本を片手に奮闘する日々。
小さな命は重く、私の体中にどっしり「せ・き・に・ん」という文字がのしかかる。
娘の笑顔に癒される日はほぼ無く、いかにこの子の不快を取ってあげられるかで精一杯だった。義父の介護も重なり、介護と子育てのダブルケア。自分の感情に浸ることすらなく、毎日がただただ慌ただしく過ぎていく。
「私は一生この慌ただしさの中で、生きていくんだ」と半ば投げやりな自分もいた。
ある時、いつも通り寝ている義父の横で遊んでる娘。
私が夕飯の支度をしてたそのとき「ちょっときて!!!!!」と叫ぶ義父の声。
何が起こったのかと血相を変えて、義父のところへ行くと
「みて!!今寝がえりしたんですよ!!!!」と満面の笑みの義父。
となりでは、何が起こったかわからない表情をしている娘。
「すごいね!!できたね!!じいちゃんそんなことできないよ!すごいじゃん」と、今までみた事のない義父の笑顔。
◎ ◎
アルツハイマー型認知症で、笑顔が少なく徘徊や夜間せん妄があった義父。
娘が産まれる1年前に誤嚥性肺炎で生死をさまよい、一命は取り留めたものの、認知症の症状が進み身体機能も衰え、在宅介護が本格的にはじまった。
家族に迷惑をかけていると涙を流すときもあり、楽しみが無いのが辛いといつも口にしていた。
そんな義父が、娘の寝がえりひとつで一生懸命手を叩き喜んでる。
そういえば、娘が産まれてからいつもとなりにいてくれた。
「世話はできないけれど一緒にいるだけならできる」と、私が目を離すときはいつも側で見守ってくれていた。
それからの義父は孫のどんな小さな成長も喜んで笑ってくれた。
孫と一緒にご飯を食べたいという理由で、ベットから起き上がり食卓に座り、ごはんをひとりで食べられるようにもなった。
目には見えない娘の毎日の小さな成長が、時に目に余るほどの成長を見せてくれ、義父の笑顔を取り戻し病気までも遠ざけた。
◎ ◎
目に見えない成長は、続けていくことで突然目に見える形であらわれる。
おとなも子供も関係ないんだ。
3mmの成長。だれからも気づかれないけれど、確実に変わっているのだ。
私も変わりたい。
「大変」だと嘆いてばかりいる暮らしより、楽しみに目をむけて「大変だけど楽しんでるよ」と言える自分に。
現在、6歳になった娘。
「じいちゃん、昨日学校で楽しい事があったの!!!」と仏壇のお水を変えながら手を合わせる。
娘の3mmの成長。毎日お空から見守っていてください。
そして、暮らしの中で大切なことを教えてくれたお義父さん、ありがとうございます。
今、暮らしを楽しみ自分を毎日成長させたい!と明るい未来を夢見る私がいるのは、お義父さんのおかげです。