挨拶の大切さを口酸っぱく教わってきた小中学生時代だった。

「大きな声で元気に挨拶しましょう」「身の回りの人に挨拶しましょう」

そう教わってきたから、それが当たり前だと思っていた。

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小学生時代は学校の教師や来客だけでなく、地域の人にも欠かさず挨拶をしていた。

学校周辺の地域には面識のない人ももちろんいた。しかし、物理的にも心理的にも地域と学校の距離が近かったため、校外学習や登下校中も地域のおじいさんやおばあさん、お兄さんお姉さんたちに挨拶をした。住民というだけではなく、友達の親族かもしれないし、何よりまだ子どもの私たちを見守ってくれる存在なのかもしれない。知らないところで、私はこれまで守られてきたのだと思う。

中学生時代の挨拶教育はやや過剰というか、ずれていたと思う。たとえ小学校が重なっていなかったり、部活動や委員会が違っていたとしても、廊下ですれ違う先輩には必ず挨拶をしなければならない校風だった。

私は全ての先輩に律儀に挨拶をしてきたが、返してくれないことがほとんどだった。だからといって挨拶をしないと、先輩から教師に「挨拶ができない後輩がいる」と陰口を言われてしまう。この理不尽さと、それに対して「ちゃんと挨拶しなさい」と適当に指導してくる教師に嫌気がさす日々だった(自分が先輩の立場になった時にちゃんと挨拶を後輩に返せていたかどうか自信はないが……)。
それでも、挨拶を忘れない中学生時代だった。おかげで「挨拶ができない人」にはならなかったと思う。

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あれから10数年経った。特に調べたわけでも、直接見聞きしたわけでもないが、どうやら「地域の人への挨拶」はあまりいいものではないらしい。

同じ地域住民だとしても、小中学生に挨拶すると不審者に思われるのだろう。おそらく「知らない人に挨拶されても返さないこと」「変な人に声をかけられたら身近な大人に報告すること」と教わっているのかもしれない。物騒な事件が絶えない世の中で、子どもの防犯を重視するなら当然のことだろう。

なのに、なぜか寂しさを感じてしまう。挨拶って地域の範囲でも交わされないものだっけ?
私が学生の頃、テレビCMで「挨拶で安心できるまちを」「挨拶は魔法のことば」と謳われていたのに、最近は見なくなった気がする。あんなに推奨していたのに、いつの間に挨拶は安心を上回る危険を孕むようになってしまったのだろう。

挨拶が与える安全は、私の地元のような田舎だから成り立つのだろうか。地域のネットワークが張り巡らされていて、顔見知りが多い環境の方が今のご時世だと珍しいのかもしれない。

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現在私は関東の住宅街に住んでおり、周辺には小学校がある。通勤時には登校中の小学生と遭遇する。私が挨拶をしないのもされないのも当然ではあるのだが、小学生の子どもたちが付き添いの保護者や交通パトロールをしてくれる地域の人にも挨拶をあまりしないことに違和感を覚えた。

決して他人ではないのに、見えないところで守ってくれてるかもしれないのに、挨拶1つもないのか。私の考えすぎや思い込みかもしれない。でも、子どもの賑やかな声の中に挨拶が混ざっていないのが、なんだか寂しい。

「挨拶は魔法のことば」と10数年前、特に震災の時期に何度も教わった。今、人にとって挨拶ってなんなのだろう?
ひょっとすると、今悶々と垂れ流したことは、職場で挨拶する人やタイミングを選ぶようになってしまった私の戯言かもしれない。