言葉が出て来なかった。文字通りの意味で。

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先月から、1ヶ月ほど入院した。リンパ節の腫れを伴う高熱を発する菊池病にかかったためだ。入院してから、高熱を出しては解熱剤で対応するという対処療法が続いた。高熱のアベレージが少しずつ下がり、当初の治療計画通り1週間ほどで退院できるかと踏んでいたとき、それは起こった。併発して発症した髄膜炎由来のてんかん症状である。

皆さんは「てんかん」というとどんな症状を思い浮かべるだろうか。医学の知識が浅い私は、激しいけいれん症状と口から泡を吹いて倒れるイメージがあった。だから、私に起こったてんかん症状を、後に医師から説明されたときは、「まさか私のあれがてんかんだなんて」と驚いたものである。

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私に起きたてんかんは、誤解を恐れずに言えば、失語症のようなものである。脳波の乱れから言葉が出て来なくなってしまったのだ。

会話をしようとする。文章を話そうとする。言葉を発しようとする。でも、文章と文章のかたまりが、ばらけていき、ゴールを見失う。言葉と言葉がつながらない。次の単語に行く前に、頭の中で言葉が分裂していき、消えていく。頭の中で言葉がばらばらになり、今発している単語だけで容量がいっぱいになってしまう。そして、次の単語にたどり着くことができず、文章の中で迷子になるのだ。

例えば、私の元を訪れた医師が、私と会話を試みたときだ。テストとして「今日は何年何月何日ですか」と聞いてきて、頭の中では「令和6年5月29日です」と分かっているのに、「へ、へいせい、3年?あれ?3がつ…?27日かなあ」と全く違うことを発してしまうのである。同様に「ここはどこか分かりますか?」と聞かれても、「〇〇病院です」と伝えようとしても、「〇〇」が出て来ない。「えっと、えーっと、えーと」と散々溜めた挙句、「△△病院です」と違う病院を言ってしまうのである。

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また、医師と雑談をしようとして、「会社の本社が東京ドームに近くて、中日ファンである上司がこの間巨人戦を見に行って、巨人に勝ったから上機嫌であった」という内容を話そうとしても、言葉に出てくるのは「巨人」という単語だけ。「えーと、巨人が、巨人が近くて、巨人に、巨人が勝って」としか言えず、最終的に泣きたくなるほどのもどかしさといらつきを覚えながら、雑談を諦め「巨人が好きです」と着地させた(私はどちらかと言うとアンチ巨人である)。

家族が面会に来ても、親やパートナーの名前を言うことができなかった。簡単なあいさつの「おはよう」も「来てくれてありがとう」も頭の中では発しているのに、口からは何もでてこない。いつもはどちらかというと、おしゃべりで通っている私が、全く言葉を話せず、ベッドに力なく横になっている姿を見て、家族は泣きたくなるほど心配したという。

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そして今である。1ヶ月の治療を終え、このようにエッセイを書けるまで、私は回復した。かがみよかがみに投稿し始めて3年が経つが、言葉を紡ぐことはいつの間にか私の日常となり、生きがいとなっていった。入院中、てんかん症状から少し回復した私が、最初にやったこと。それは、母から買ってもらったノートに、エッセイネタを書き出すことであった。

あいさつさえ発することができなかった。言葉が出て来なくて、喋れない・書けない・話せない。あんなにもどかしく悔しい思いは、そうそう体験するものじゃない。そして、もう2度と体験したくない。が、無理やりポジティブになるとすれば、これだけもどかしい思いをしたからこそ、言葉を自由に発せられる喜びが分かったとも言えるのかもしれない。

みなさん、最後まで読んでくれて「ありがとう」。このあいさつが言えることに、心の底からの喜びを感じて、今日は締めとしたい。