私は母子家庭で育ち、夢を叶え看護師として働いている20代の女性だ。
私の父親は子供の頃に一緒に暮らしていたが早くに離婚してしまったため会わなくなって数十年経ち、今では声も匂いも思い出せずぼんやりとした姿と笑みが記憶の中にある程度となってしまっている。
離婚してかなり経つが、私の人生に大きな道を作った彼が今でも夢に出てくるので思い出話をさせて欲しい。
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「何も無くても家族がいれば幸せだ」
思い出すのは〝幸せ〟について語る父親の姿。彼は優しかったが、学もなく少年がそのまま大人になったかのような生活能力の無い人だった。
自分の夢について話し、いつも笑っており楽しそうな姿が印象的だった。幸せそうな父親を見て私は「大人いいな!幸せな夢を私も叶えたいな!」そう思っていた。
しかし現実的な母親と父親では生活が上手くいかず、何も分からないまま終わりがきた。
「夢を追わず早く大人になること。現実を見て生きること」
必死に父親を支えていた母親から私への血を吐くような言葉だった。
母親は大好きだった男との夢より、現実の娘を生かすことを選んだ。
成長していくなかで私は、大人になることを選んだ。非現実的な夢を否定し、堅実な看護師の仕事に就くことを目指した。
ただ、人生の岐路に立つ度に思い出すのは父親の言葉。反面教師であったが、幸せに生きる父親の姿は小さい少女だった私の憧れでもあった。
父の寛容さや明るい笑顔に救われ、夢を追う楽しさも感じていた。夢だけでは食べては行けない。しかし、父親のような人こそ真に人生を楽しめるのではないかと思った。
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両親が離婚してから1度だけどうしても父親に会いたくなり、ワガママを言って会わせてもらえる機会があった。嬉しくて嬉しくて手作りのクッキーに新しい洋服を着て会いに行ったことを覚えている。
久しぶりに会った父親は、再婚しており自分の力ではなく他者に頼り夢を叶えてもらっていた。私の憧れていた、夢を追う姿が眩しかった私だけの父親はいなくなっていた。
彼は大人の男性として生きているんだと思った。帰ってきて、誰かに叶えてもらう夢はもう自分の夢なんかじゃない!そう思ってしまいふとした瞬間涙が出た。
彼のように叶えるのが難しい夢を持つことは私には怖くて出来ない。けれど、仕事に夢を持ちゆくゆくはこうなれたらいいなと展望を考える機会も増えた。
私は今、看護師という国家資格の仕事に就き生活も安定し、小さいながらも夢を持ち叶える日々を送っている。大人に憧れふわふわと夢をみる少女から地に足の着いた女性になった。
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支えてくれた母親と一緒に、私自身の夢を叶え今幸せを感じている。
1つ気がかりなのは貴方のこと。私のたった1人のお父さん。
思い出の中で笑っているお父さん。家族を困らせてばかりだったダメなお父さん。
明るい笑顔と温かい夢を私にくれたお父さん。大嫌いで大好きなお父さん。
お父さん、貴方は今どこかで幸せに暮らしていますか?