中学1年生から部活を引退するまでのおよそ5年間、わたしは朝6時に家を出ていた。部活の朝練より早く朝練を始めるためだった。共働きの両親とは、顔を合わせることも合わせないこともあった。
代わりに、毎朝必ず顔を合わせたのがおばさんだった。毎朝毎朝、家の前を掃除していた。「おはようございます」と声をかけると、「おはよう。いってらっしゃい」と返してくれる。それに「いってきます」と返すと、ようやく一日が始まったような心地がした。たまに会う黒柴のメイちゃんと共に、わたしの癒しだった。
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部活を引退しても、朝練の時間をそのまま勉強時間に充てることにしていたから、家を出る時間は変わらず、おばさんとは毎朝顔を合わせていた。コロナ禍になると、ほとんど家から出なくなった。スーパーや薬局が開いていない朝練の時間帯に家を出ることはなくなり、おばさんとの接点はほとんどなくなった。
コロナ禍のある日、スーパーからの帰り道、「残星ちゃん!」と声をかけられた。振り返ると、おばさんがいた。ソーシャルディスタンスを保ったまま、家まで帰った。毎朝あいさつをしていた頃より、からだとからだの距離が遠かった。受験生だったわたしは、近況を尋ねられて返答に困った。困っている間に家の前に着いた。「きっと大丈夫よ」と言ってもらったのに、苦笑いしかできなかった。
結局わたしの受験は成功したのだけれど、やっぱり朝に家を出ることはなかったから、おばさんと顔を合わせることはなかった。ようやく顔を合わせた頃には3月になっていた。おばさんはおずおずと結果を尋ねてきて、合格したと伝えると本当に喜んでくれた。親戚の人たちと同じくらい喜んでくれたのが、驚いたと同時に嬉しかった。
思えばおばさんは、ずっとわたしの成長を見てきてくれていた。わたしたち一家が越してきたのがわたしが幼稚園の頃だから、かれこれ十数年。娘か孫のようだ、と何度か伝えてくれていたけれど、このとき初めて実感を持ってその言葉を感じられた。
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数日後、家のインターホンが鳴った。モニターを覗くとおばさんで、何かあったのだろうかと慌てて出た。家でのんびりしていたから、ゆるゆるの部屋着にサンダルをつっかけたような、ひどい身なりだったと思う。
「残星ちゃん、おめでとう。これ、合格祝いだから。メロン好きでしょう? 好きなように食べて」
祖父母は遠方に住んでいたし、両親は多忙な時期だった。初めて合格祝いをもらった。わたしの顔ほどの大きさの、立派なメロン。たしか静岡県産だった。国産の高級なメロンを、包丁で半分に切ってほじくるように食べた。口いっぱいに頬張ったメロンは、本当においしかった。
「残星ちゃんが毎朝あいさつしてくれて、嬉しかったの。コロナでそんな感じじゃなくなっちゃったけど、わたしはあのあいさつで一日の元気をもらっていたの」
あいさつのことを考えると、あの日食べたメロンの味を思い出す。あいさつって想いを交わすことなのだと実感した。
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今わたしは大学生で、いつも同じ時間に家を出るわけではないけれど。あと数年もしたらきっと、この家から巣立つことになるけれど。でも、いつだって、周りにいる人たちと気持ちよくあいさつを交わしたいと思う。